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記事全文を読む→日本レコード大賞 炎の四番勝負!<最終回>「1989年~美空ひばり VS Wink~」(1)
72年は2人の歌姫が火花を散らし、ちあきなおみの「喝采」が制した。78年は華やかなビジュアル対決にピンク・レディーの「UFO」が打ち勝ち、80年の五八戦争は八代亜紀の「雨の慕情」に軍配。そして時代が平成に移った89年、前代未聞の対決に関心が高まった──。
昭和を代表する歌手・美空ひばりの「川の流れのように」か? 年間のシングル売上げベストテンに3曲を送り込んだWinkの「淋しい熱帯魚」か? 平成になって初めてのレコード大賞は、2組の決戦という下馬評であった。
キャリアも違えばカラーもまったく違う。構図として、みごとな対比を描いた89年12月31日──。
ただし、例年との決定的な差は、本命候補の美空ひばりが同年6月24日に52歳の生涯を閉じていること。レコ大史上、没した者が大賞を狙える位置にエントリーされたことは皆無であった。また、これを待ち受けるのが「デビュー2年目のアイドルデュオ」というのも異色の感があった。
そんなWinkを手掛けたのは、ポリスターのディレクターだった水橋春夫である。水橋は伝説のロックバンド・ジャックスのギタリストを経て、いくつかのレコード会社で制作に携わる。キングレコードに在籍した81~83年には、横浜銀蠅や嶋大輔、岩井小百合ら「銀蠅一家」を担当し、レコード売上げで有数のディレクターに成長。
それでも水橋は、思いがけない場面で「ディレクターの恍惚」を知る。
「先輩に連れられて、千葉の船橋のストリップ小屋に入ったんですよ。そこで踊り子さんのBGMに流れたのが、おさだたいじの『妻あるあなたに』って不倫をテーマにした歌」
実は水橋が新人ディレクター時代に担当した1曲で、その瞬間、背筋にゾクゾクするものを感じた。歌とは、街の片隅から聴こえて初めて“流行歌”となりうる。
同じことをWinkでも体験した。3曲目で初めての大ヒットとなった「愛が止まらない」が発売された直後のことだ。
「西麻布のバーで打ち合わせをしていたら、ちょうど『愛が止まらない』が流れてきて。隣りにいたカップルの女性がしみじみ『私、この歌好きだわ‥‥』ってつぶやいた。あっ、これは1位になるなって確信しましたね」
70万枚を超えるセールスを記録し、一躍、トップアイドルになった。Winkが他のアイドルと一線を画したのは、ほとんど笑顔を見せないことと、2人の振り付けが別々の形であったこと。
前者は3カ月に1度のリリースで歌を覚えるために余裕がなかったため。後者は相田翔子と鈴木早智子の踊りの能力に意外な差があったための“苦肉の策”であるらしい。
そしてWinkはこの1曲だけでなく、4作目の「涙をみせないで」、5作目の「淋しい熱帯魚」と続けて50万枚以上のセールスを記録。それは、ポリスターという後発のレコード会社にとって救世主であった。
「30万枚を超えるとCDをプレスしているんじゃなく、お札を刷っているような感覚だったと思います」
アイドルの曲には見向きもしない新興のFM局でも、Winkだけは流れていた。それが水橋にとっては大きな誇りであった。
◆アサヒ芸能12/17発売(12/26号)より
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