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将軍・殿様の「正室と側室」奇妙な真実(5)3代家光は春日局の子だったのか?

 そんな家光は、お江の子ではなく、春日局の子ではないかという説がこれまでもずっとあった。それなら春日局が家光を命がけで守ったことも、家光が彼女を母のように慕っていたことも、すっきりと納得がいくのだが‥‥。

「江戸城の紅葉山文庫に『松のさかえ(栄え)』という東照宮御文の写しが保管されていて、その中に『秀忠公御嫡男 竹千代君 御腹 春日局』とはっきりと書かれています。さらにお福(春日局)の縁戚に伝わる『御家系典』にも『竹千代を産む』と記録されています。しかしこれ以外にはないことと、写しであること、徳川家の正史をはじめ、その他の文書には家光はお江の息子だと疑いもなく書かれていることで、今の歴史学会では認められていないのです。しかし最近、九州大学の福田千鶴教授の論文によれば、秀忠が江戸にいる時にお江は豊臣家に嫁ぐ千姫について京都に行っており、この時系列をよく点検すると、お江の子とするには妊娠期間が足りないという指摘が出てきました。春日局の子であるかどうかは別として、少なくともお江の子ではないという可能性はありますね」

 春日局の墓は湯島の天澤山麟祥院(てんたくさんりんしょういん)にある。春日通りを湯島天神、切通坂ときて東大に抜ける辺りである。

 墓石は卵塔(らんとう)とよばれる縦長の柔らかい曲線を持ち、その墓石の上方に丸い大きな穴が四方にうがたれている。これは、「死後も天下の政道を見守り、之を直していかれるように黄泉から見通せる墓を造ってほしい」という遺言に基づいて造られたものだという。

 春日通りは、春日局の屋敷があった東京ドームの隣町の春日町に由来するのだが、現在までその名前が残っていることからも当時の権勢ぶりがうかがえる。加えて、さぞや美人かと思うのだが‥‥。

「いや、美人ではなかったと思いますよ。そう書いてある資料は知りません」

 と岡崎氏はにべもない。

 が、乳母上がりの春日局のような権力者を出さないように、江戸幕府は工夫している。

「その後は『お乳持ち』といって1人の子供について5人ぐらいおっぱいをあげる女性を雇うようになるのです。それには旗本よりワンランク下の御家人の奥さんたちを起用した。御家人はお目見え以下ですから、その女房も将軍家の子供の顔を見てはいけないということで、覆面というか大きなマスクをしておっぱいをあげていたのだそうです。直接、抱くことも禁じられていたので、格上の女性がおっぱいのところへもっていって、吸いなさいとやっていたわけです。そんな格式の中でおっぱいをやるわけですから、女房たちも緊張しておっぱいが出なくなったりするのですね。だから5人も雇わなければならなかった。大奥に入り浸りで側室を40人も抱えて正室・側室に53人もの子供を作ったのは11代家斉(いえなり)ですが、その子供が次々に死んで半分以上が育たなかった。どうしてそんなに死んでしまうのか。その原因はおっぱいのやり方も含めてのびのびと育てていないからに違いないと。それで途中から覆面をしないでお乳を飲ませられるよう旗本の女房たちに乳持ちをやらせるように改めたのです。それでも幼くして死ぬ子はなくならなかった。本当の原因はおっぱいをあげる女房たちの白粉(おしろい)に鉛が入っていたからだとも言われています。当時は胸元まで白粉を塗って化粧をしていましたから、その鉛をおっぱいと一緒に飲み込んだことが原因だということは否定できないと思います」

 徳川将軍家の墓は芝増上寺と上野寛永寺だが、ここに半分ずつ交互に埋葬されていると考えていいという。

「ただ、家康は日光東照宮に、2代秀忠は菩提寺の増上寺ですが、家光は父母の秀忠・お江と一緒のところにいたくなかったのか、天海僧正(てんかいそうじょう)の力もあって、上野寛永寺という第2菩提寺を造ったわけです。その家光も結局は日光に墓を作って、敬愛する家康のそばに行くわけです。4代家綱も5代綱吉も寛永寺に墓があることから、増上寺としては『どうなってるんだ』となります。そこで、6代家宣は増上寺に行き、7代家継はわずか7歳で亡くなったので、父と同じ増上寺に墓があります。そして8代吉宗はなんだかんだと言われても日陰の身だった自分を見いだしてくれた綱吉を尊敬しており、墓は寛永寺の綱吉の隣というか、その敷地の一部にあるのです。それは吉宗の節約精神の表れでもあったようです。そしてこれ以降は、将軍の墓は増上寺と寛永寺で交互に埋葬されることになりました。寛永寺にも増上寺にも墓がないのは慶喜だけです。彼の墓は谷中霊園の中に神式の墓があって、土を盛ったいわゆる土饅頭(どまんじゅう)です。徳川家は浄土宗(増上寺)か天台宗(寛永寺)です。慶喜は水戸の出身で、神式だからと別のところに墓がある理由を説明しているのですが、ただそれだけが理由なのか。徳川家の慶喜への微妙な感情があるように私は感じるのです。徳川家を継いだ16代当主の家達(いえさ)とは、『慶喜は家を潰した人、私は家を興した人』と言っていたそうです」

 小石川の傳通院(でんづういん)には家康の母のお大の方の墓があり、傳通院はお大の法名。ここには豊臣家に嫁いだ千姫の墓もある。さらには3代家光の正室だった鷹司孝子(たかつかさたかこ)の墓もある。孝子は京の摂関家から嫁いできた高貴な家柄の正室だが、若き家光は男色の趣味もあり、孝子とはなじまず、すぐに別居。家光が死ぬまでそのまま暮らしている。

「そのせいでしょう、正室なのに孝子の墓は徳川家の菩提寺である増上寺にも寛永寺にも入れてもらえず、格下の傳通院にあります。お大、千姫、孝子の3人は、いずれも旦那と生き別れになった女性たちで、偶然にも皆、この傳通院に埋葬されています。子供が育っていない家斉の側室たちや、幼くして亡くなった将軍の子供たちの墓などがたくさんあって、哀れを誘う悲しい歴史を背負った寺でもあります」

 こうして正妻や妾たちの墓を見ていくと、歴史の真実と同時に、現代にも通じる男と女の愛憎、親子、兄弟間の確執なども見えてくるようだ。江戸東京散歩として岡崎氏の著書を導きに、姫たち、妾たちの墓を巡ってみるのもいいだろう。

岡崎守恭(おかざき・もりやす):1951年、東京都生まれ。早稲田大学人文科卒業。日本経済新聞社入社、北京支局長、政治部長、編集局長(大阪本社)などを歴任。歴史エッセイストとして、国内政治、日本歴史、現代中国をテーマに執筆、講演活動中。著書に『自民党秘史 過ぎ去りし政治家の面影』。

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