1リットル近いアイスコーヒーが、なんと400円前後。この「バグった価格」とボリュームで日本のビジネスマンの心をつかんでいるのが、韓国発のコーヒーチェーンだ(写真はソウルの街中カフェ)。2025年に日本へ上陸した「マンモスコーヒー」は席を設け...
記事全文を読む→追悼・渡哲也「78歳壮絶死」までの「逆境無頼」56年(2)CM出演料を回転資金に…
2人の間の障壁となったのは、吉永の父親だった。
「あんな男じゃ、お前が苦労するのは目に見えている」と猛反対。吉永につきまとって、渡を近寄らせなくしたのだった。吉永は渡との結婚を認めてもらおうと再三、両親の説得を試みたものの、抗しきれず。
「吉永にとって『初めての男』と言われた渡との大恋愛は、2年余りで破局を迎えた」(映画関係者)
そんな渡が最後まで希望していたのが、吉永との共演だった。日活黄金期を支えた「恋人」の死に、吉永は直筆の追悼コメントを寄せている。
71年、日活がロマンポルノ路線に舵を切ると、渡は日活の専属を離れ、石原プロモーションに入社する。日活の先輩として尊敬していた石原裕次郎を慕ってのことだった。ところが──。
「これ、皆さんのお茶代に使ってください」
渡は入社の際、経営難に直面していた石原プロのために、当時の全財産である180万円(サラリーマンの年収4年分)を裕次郎に差し出した。裕次郎は「気持ちだけ受け取った」と、のちに明かしている。
「その頃、渡ほどのスターを各社が放っておくはずはなく、松竹や東宝で主演作が次々と公開されました。中でも獲得に熱心だったのが、アウトロー映画の総本山たる『東映』。当時の岡田茂社長以下、あの手この手で渡の引き抜きに奔走しています」(映画関係者)
名物プロデューサーだった日下部五朗氏は、渡の東映移籍第1弾として「仁義なき戦い」(73年)の主役を用意したことも本誌に明かしている。だが岡田社長直々にセッティングした会食の席で口説かれた際、渡は裕次郎への恩を理由に、きっぱりと断ったという。
映画産業の斜陽化に伴い、石原プロは8億円とも言われる負債を背負うことになる。その窮地を救ったのがテレビ界への進出であり、「大都会」「西部警察」などの大ヒットだったのだ。
「その後も石原プロの危機はありました。渡はそこでも私財を注ぎ込んで、会社を存続させるべく奔走。特にここ10年ほどは予算の大きな制作関連の仕事もさほどなく、大所帯の石原軍団を維持していくのはかなり大変だったと聞いています。そこで渡のCM出演料などを事務所の回転資金に充てていたとか。もともと、ドラマなどの制作を請け負って軍団所属俳優を起用するビジネスモデルだっただけに、ジリ貧状態になっていた。ただ、裕次郎さんの『俺の死後は事務所をすぐに解散させろ』という遺言を破り、存続にこだわった。それだけに、裕次郎さんの33回忌までは事務所は畳めない、という渡さんなりのけじめがあったそうです」(芸能関係者)
アサ芸チョイス
毎月、設定した通りに投資信託が買われていく。新NISAで積み立て始めて数年、残高が増えるたびに老後の不安が少し遠のく気がする。証券会社に勧められて、パスキーも設定した。ただ、値下がりは想定していても、自分の意思と無関係に保有資産を売買される...
記事全文を読む→イギリスのロンドンから帰国すると、大物俳優の自分がすっかり忘れ去られた存在になっていた――。「俺のこと、なんか言ってた?」は役所広司を主演に据えた、Netflixのオリジナルシリーズ。大物俳優が再び表舞台でスポットライトを浴びようと這い上が...
記事全文を読む→またしても、玉川徹氏がやらかしてしまった。「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)で「秋の抜け毛」を取り上げたパネルコーナーでのことだ。医学を信頼する立場だというコメンテーターの玉川氏は「薄毛に悩む男性は病院へ行くべき」との持論を展開し...
記事全文を読む→

