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記事全文を読む→紳助親分の「使用者責任」(2) 惰性の番組作りを嫌悪した
紳助と松本は00年10月から06年3月まで、深夜番組「松本紳助」(日本テレビ系)で共演した。そして、それも2人を疎遠にする契機となったようだ。
日テレ関係者が語る。
「当初は、紳助さんと松本さんのアドリブや、スタッフや視聴者から出されたお題、悩み相談をもとにしゃべるトークが中心でした。ところが04年頃から、ロケを実施したり、視聴者から募った話をVTR形式で紹介するような内容に、紳助さんの主導で変更された。松本さんは、この変節に対して『これじゃあ、自分が目指した番組と違うわ』と不満を漏らしていましたね」
紳助親分が陣頭指揮を執る番組作りに、松本には違和感があったようだ。
「番組開始当初から事前の打ち合わせはほとんど行わず、ほぼぶっつけ本番で収録されていました。その原因を聞くと、紳助さんが〝副業〟で多忙だったからだというんです。番組を徹底的に作り込みたい松本さんでしたが、番組タイトルで自分の名前を先にしてもらい立ててくれた恩義もあり、あくまで業界の先輩である紳助さんに従った。しかし、違和感から仕事に対してストレスを感じるようになり、06年に『そろそろええんじゃないですか』と松本さんから番組終了を申し出たんです」(前出・日テレ関係者)
松本は、この番組の共演も縁で、01~03年、05~昨年まで、紳助親分の「シマ」だった「M‐1グランプリ」で審査員を務めた。吉本興業関係者が振り返る。
「真剣にネタを審査していた松本さんの目には、中には芸を正当に評価せず適当に審査している審査員もいると映っていたそうです。そんな状況に嫌気が差していたこともあり、グランプリの優勝コンビについて『俺は違うと思うけどな』と漏らすこともたびたびありました。漫才ブームを巻き起こした紳助さんについて、松本さんが尊敬の念を抱いたことは事実でしょう。でも、一つ一つの番組を惰性でこなしていた姿勢に対しては『俺は絶対にああはならんわ!』とこぼしていた」
結果、松本は紳助と距離を置くようになった。
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