30歳、40歳、50歳……年齢の節目とともに意識せざるを得ないのが“QOL”の変化。いわゆる生活や人生の質を表す指標だ。「調子がいいと感じる日が減り、いつの間にか元気を保てなくなっている……」「男性特有の悩みが気になり男として終...
記事全文を読む→知られざる“企業VS企業”の遺恨事件(1)長年続いた恨みとは…
先頃放送された「トヨタ自動車」創業者をモデルとしたテレビドラマが大きな反響を呼んでいる。戦後復興のため、男の夢と希望をかけて奮闘する姿が支持された結果だ。そして、視聴者を最もハラハラさせたのは“生死”を賭けた企業同士の激突であった。ところが、こうした知られざる“暗闘劇”は日本経済史にゴマンと存在する。
3月22日、23日の2夜連続で放送されたドラマ「LEADERS」(TBS系)。トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)の創業者の豊田喜一郎氏をモデルにした物語である。
国産車が「夢のまた夢」と言われた時代に、輸入車に負けない国産車製作に情熱を傾ける、いちずな姿を佐藤浩市(51)が熱演。トヨタの地元である名古屋地区では両日ともに視聴率20%を超えるなど、多くの支持を集めた。中でも、戦後のインフレで経営危機に陥ったトヨタを復活させるくだりはドラマのメインであった。日銀を巻き込んで、銀行団から融資を引き出す場面は多くの視聴者が手に汗を握ったシーンだろう。
この時代にトヨタが残した遺恨は実に50年も続いた。
「1949年にトヨタは苦境に立たされ、翌年3月までに2億円の資金繰りのメドが立たなければ倒産という状況でした。取引先への支払いも遅らせてもらわなければならない中、その遅延に応じなかったのが川崎製鉄でした。危機を脱したあともトヨタは川崎製鉄とは取り引きせず、川崎製鉄が日本鋼管と経営統合し、03年にJFEスチールとなるまで取り引きは復活しませんでした」(経済ジャーナリスト)
世界一の自動車メーカーとなったトヨタの原点は、企業間の「犬猿の仲」から生じる“負けん気”にあるのかもしれない。
この「トヨタvs川崎製鉄」と同じように長きにわたって暗闘を繰り広げたのが「三越vsヤマト運輸」だ。
82年に起きた「三越事件」をご記憶の方も多いだろう。当時の三越社長である岡田茂氏とその愛人、竹久みち氏が特別背任で逮捕された一件だ。その際、三越は公取委から優先的地位の濫用で審決を受けている。
その契機となったのが、79年のヤマトと三越との配送契約解除と言われている。三越の配送業務で赤字となっていたヤマトからの料金値上げの申し出に岡田氏が応じなかったために、ヤマトが解除を決断した。その後、「三越事件」が露呈し、ヤマトは三越から“出禁”扱いとなったのだ。
しかし、一大スキャンダルの発端となったことだけが、その理由ではない。
経済誌記者が言う。
「ヤマトが創業直後の1920年代、恐慌の余波を受けて、存亡の危機に陥ったことがあるのです。その際、救いの手を差し伸べたのが三越の前身である三越呉服店でした。三越がヤマトに大口の配送業務を任せて、何とか立ち直ったのです。三越にしてみれば『その恩を忘れたのか』という思いがあったのでしょう」
この暗闘は31年間続いた。伊勢丹と三越が経営統合後の10年に手打ち。現在は三越の贈答品をヤマトが届けている。
◆アサヒ芸能4/1発売(4/10号)より
アサ芸チョイス
千葉ロッテマリーンズの新ホーム球場は、いよいよ「ドーム化」で話がまとまった。施工主の千葉市は当初、膨大なコストがかかる「ドーム型」を諦めて「屋外型」での建設方針を示していたが、ロッテ球団とファンの要請を受けて再検討に入っていた。屋外型であれ...
記事全文を読む→この4月、新生活のスタートとともに、家計の見直しに動く人が増えている。今年は特に、食品や光熱費の値上げラッシュが家計を直撃。調味料や加工食品、さらには電気・ガス代まで上昇し、「何を削るか」が現実的なテーマとなっている。ここでクローズアップさ...
記事全文を読む→ミラノ・コルティナ五輪のフィギュアスケートで、日本勢史上初の金メダルを獲得した「りくりゅうペア」(三浦璃来、木原龍一)が今シーズン限りで現役を退くと、SNSで発表した。2人の連名で思いを綴り、〈困ったときにはいつもそばで手を差し伸べてくださ...
記事全文を読む→
