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記事全文を読む→テリー伊藤対談「半井小絵」(2)NHK時代はツラかった?
テリー だけど気象予報士になったからといって、食べていける保障はなかったわけでしょう。
半井 はい。両親に転職したいという話をしましたら、正座をさせられまして。「本当にあなたは、転職したあと1人で生きていけるのか」と一晩中説得されましたね。「それでもやりたい」と言ったら、しぶしぶOKということで。そこで後押ししてくれたのが祖母だったんですね。
テリー どんなふうに応援してくれたの?
半井 祖母は昭和9年の室戸台風の時に小学校5年生だったんですが、校舎の下敷きになったんです。それでお友達21名が亡くなったんです。そんなふうに、自然災害の恐ろしさを身をもって経験していますので、天気を読むお仕事の大切さを理解してくれて、両親を説得してくれました。それで東京に出てきたんです。
テリー NHKのお天気お姉さんになったのはどういう経緯だったんですか。
半井 気象会社に転職したのが2001年6月で、しばらく天気図を描いたり、ラジオのアナウンサーが読む原稿を書いたりしていたんですね。そのあとに「オーディションを受けてみないか」と言われて、受けたら合格をいただいたんです。
テリー なるほど、オーディションがあるんだ。
半井 だから、テレビの世界は何もわからず、気象予報士としても技術がまだまだ未熟なところから飛び込みました。
テリー 厳しかったお母さんも、泣いて喜んだんじゃない?
半井 ああ、そうですね。親孝行ができたと思いました。契約は1年ごとの更新だったんですが、だんだんとツラいと感じたこともありましたね。
テリー そうだったんだ。
半井 夜7時半前のたった2分のものなんですが、お昼から行って、自分で天気図などの資料を見てポイントをしぼって、画面はどうするかとか、VTRのどの部分を使うとか、そういうことまで全て自分でやらなきゃいけない世界だったので。
テリー 用意されたものを読むんじゃなくて、自分で責任のある原稿を作ると。
半井 今振り返ると、本当に貴重な時間でした。でも当時は、6年目くらいから自分の中では「ツラいなぁ」と感じていましたね。ぜいたくな悩みだったなと、今は反省しています。あんなありがたい時期はなかったんだなと。
テリー あの2分の間に、大人気になったもんねえ。顔が売れて、大変なこととかもあった?
半井 それはあまりなかったですね。渋谷の周りを歩いているとさすがに気づかれるんですが、他ではあんまり気づかれないので、普通に歩いてました(笑)。
テリー NHKは何年やったんだっけ?
半井 9年です。
テリー やめてからは、何年?
半井 4年目です。いきなり私の周りで、突然嵐になったような事件があって、お仕事が減ったんですけど、周りで支えてくださる方がいて、今もおかげさまで何とかやってます。
テリー それはどのくらいで立ち直ったの?
半井 やっぱり1年、2年ぐらいはツラい中にありましたけど、だんだん、一つ一つ小さな喜びを見つけていくと同時に、幸せ度数が上がっていきましたね。そして、ここでもう1回名前を知っていただいて、幅広く活動していきたいなと思って、写真集を出させていただきました。
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