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記事全文を読む→世界の福本豊<プロ野球“足攻爆談!”>「昭和の“壮絶しごき”が少し懐かしい」
令和はプロもアマも指導者にとっては難しい時代になった。もちろん、暴力行為は反対やけど、優しすぎるのもどうなんやろ。最近の子は怒られることに慣れてないので、厳しい指導者にはアレルギーがあるのかもしれない。エンジョイベースボールがもてはやされ、スパルタ指導は「昭和の時代やないんやから」と叩かれる。でも、思うねん。教えられている時は「うるさいな」と思っていた監督やコーチほど、後になってありがたみがわかってくる。
10月11日に亡くなった元阪急の住友平さん(享年80)も、昭和時代の名コーチやった。僕が入団した頃の二塁手で阪急黄金時代の名脇役やった。75年に引退後は上田監督の名補佐役として知られ、自宅から球場までの車の送り迎えを含めて、朝から晩までくっついていた。ウエさんにとっては何でも相談できて、右腕どころか両腕みたいな存在やった思う。
現役時代は飛び抜けた成績を残したわけやないけど、打撃コーチとしても優秀やった。僕らベテラン勢に関しては「お前らに教えることはない」と放任してくれたが、若い選手には熱血指導をしていた。現在のオリックスGMの福良も住友さんに鍛えられた一人やった。最高傑作は、日本で最高のスイッチヒッターと評される松永浩美。入団時は今の育成選手みたいなもので、練習生として背番号のないユニホームで練習していた。用具係として、朝一番に球場に来て、打撃ケージを組み立てるなど、練習の手伝いからスタート。練習後の片付けをしてから延々とバットを振り込まされていた。
松永は入団当初は右打ちで、スイッチヒッターになったのは3年目から。そこから2軍打撃コーチの住友さんの壮絶なしごきにあった。周囲が「壊れるんちゃうか」と心配するぐらいの練習量やった。普通の人間ならつぶれていたと思う。体の強さはプロで成功するための大きな武器。松永の頑丈さは飛び抜けていた。言われたことを素直にやり続ける愚直さもあった。
今の子はすぐに理由や結果を求めたがる。スイングスピードや打球角度、すべてハイテク機器が測定してくれるから、その数字ばっかり気にしてしまうんやろね。だけど、ほんまもんの技術は簡単には身につかない。ひとつのことをやり続けているうちに、いつの間にかできるようになる。まずは言われたことにトライすることが大切やと思う。
住友さんの口の悪さも懐かしい。浪商、明治大で過ごしてバンカラ気質。飲食店で居合わせた見知らぬ客とケンカになることもよくあった。2番打者として僕を助けてくれた大熊忠義さんと住友さんが浪商の同級生で、いつもつるんでいた。二人ともケンカっぱやかったけど、どちらかが仲裁役になる名コンビだった。コロナ禍で最近は会えていなかったのが残念やね。でも、教え子のオリックス・中嶋監督がリーグ3連覇する姿を見て、きっと喜んではったと思う。
今年の秋もプロ野球界は巨人の阿部、ロッテの今江と若い監督が誕生した。今の時代に適した、どういう指導をするのか楽しみ。でも、時代は流れても大事なことは変わらない。考えてみれば、セ・リーグ王者の阪神・岡田監督は12球団最年長の65歳で昭和世代のど真ん中。昭和の野球も大事に受け継いでいくべきところがある。
福本豊(ふくもと・ゆたか):1968年に阪急に入団し、通算2543安打、1065盗塁。引退後はオリックスと阪神で打撃コチ、2軍監督などを歴任。2002年、野球殿堂入り。現在はサンテレビ、ABCラジオ、スポーツ報知で解説。
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