社会

“眠れなくなる”惨殺の日本史〈戦国時代「残虐」事件簿〉織田信長「一向宗門徒2万人超皆殺し」は悪魔の所業

 日本史において虐殺は繰り返されてきた。そこに立ち現れる残虐性とは、不可避の“人間の業”なのか、歴史上の“特異点”なのか。

 権力者たちが、虐殺を行った最大の理由は何だろうか。歴史家の河合敦氏が解説する。

「自分の家臣や領民を殺す最大の理由は、〝見せしめ〟です。自分の言うことに逆らえないようにするために、他者に恐怖を与えて支配する。これは古今東西、権力を握った人というのは、権力の座からの転落が怖いので、裏切りや反逆者にはあえて見せしめとして残酷な殺し方をしたのです」

 織田信長は、戦国時代最大のヒーローで、革命的な戦略や経済政策で戦国の世を革新した革命者だが、一方で、希代の虐殺者というダークな部分も併せ持っていた。河合氏は言う。

「信長は、比叡山の焼き討ちで、お坊さんをはじめ男女、子供まですべて皆殺しにしています。太田牛一の『信長公記』によれば、信長に家臣が、このお坊さんは大変に徳のある人だから(殺すのは)許してくれませんかと具申しても一切耳を貸さず、徹底的に殺戮したと書かれています。ただ、比叡山に対して信長は何度も、浅井、朝倉に味方をしないようにと忠告していたにもかかわらず、結局、朝倉側に比叡山が肩入れしたことへの怒りが、焼き討ちに至った一因です。また、天正二年(一五七四)の『伊勢長島の一向一揆』では、信長は大軍を率いて一揆勢が籠もる城々を何重にも取り囲んで火攻めにして城ごと焼き払い、最終的に門徒2万数千人を皆殺しにしたといいます」

 一向宗は、鎌倉時代に親鸞が開いた浄土真宗の教えに従って「一心一向」に阿弥陀仏に帰依するところから一向宗と呼ばれ、近畿、北陸では、自治政府のような強大な勢力になっていた。

「戦国時代には、門徒である農民、武士、坊主らによる一向一揆が多発し、守護・戦国大名らと対立していました。南無阿弥陀仏を唱えて敵と戦って死ねば極楽浄土に行けると信じる信者ですから、大将1人の首を取れば撤退するわけではないので、結局皆殺しにしなければならないと考えたのだと思います」

 裏切り者への残虐な仕打ちでは、荒木村重が有名だ。

「信長は村重を家臣として信頼していたので、裏切られるとその怒りが何倍にもなったのでしょう。村重自身は、有岡(伊丹)城を脱出して逃げてしまいますが、残った家臣の女房や子供まで人質122人を尼崎近くの七松で、柱に磔にして鉄砲で撃ち殺したり、槍や長刀で刺し殺しています。そのあと、男性124人、女性388人を4軒の農家に押し込め、枯草を積んで生きたまま家ごと火をつけて焼き殺しています。その時の様子を『信長公記』は、魚の群れが上を下へ飛び跳ね、悲痛な叫び声が煙と共に空に響いていたと生々しく描写しています。京都に護送された村重一族と重臣の家族の36人が、大八車に縛り付けられ京都市中を引き回された後、六条河原で斬首されました」

 殺害されたのは670人。正に大虐殺である。

 戦国大好き芸人で信長ファンの桐畑トール氏は言う。

「信長も自分に逆らったり裏切ったりしなければ、そんなにヒドイことはしてないんです。どうしても信長が目立つので、ピックアップされがちなのは仕方ないとは思いますが、戦国時代には、たいていの武将は同じようなことをやっていました。ただ、信長を狙撃して失敗した杉谷善住坊を捕まえた時なんか、生きたまま首から下を土中に埋めて、しかも切れ味の悪い竹製のノコギリで時間をかけて首を切断する『鋸挽きの刑』で処刑しています。一般の通行人もちょっとずつ挽かされたりして、じわじわ殺す刑で、やっぱ残虐なことを好んだのは事実なのかもしれませんけど」

 信長の恐怖による支配をサディスティックに応用したのが豊臣秀吉だと河合氏。

「秀吉の城攻めは中国攻めの時などに特徴的ですが、人を残虐に苦しませて降伏させています。鉄壁な包囲網を作り、徹底した兵糧攻めを行います。城兵の逃亡を見逃さず、降伏もなかなか許さず、城の中を“餓鬼地獄”にして、殺しています。

 武田信玄が信州の志賀城を攻めた時、志賀城では関東管領・上杉憲政の援軍を待っていましたが、信玄はこの援軍を途中で打ち破り、討ち取った武将の首を志賀城の周りに並べて、志賀城側のやる気を削いでいます。その首の数が500とも3000とも言われますが、同じようなことを、秀吉も小田原北条攻めの時にやっていて、八王子城で取った首級と人質を船に乗せ、海から小田原城の北条側に見せつけました」

 ところで、平安時代に死刑はなかったことに桐畑氏は驚いたと言う。

「聖武天皇が神亀元年(七二四)に死罪の者を流罪に減刑すると言って、それ以来350年もの間、死刑が行われなかったというのはスゴイなと思いますね。今年の大河ドラマ『光る君へ』の第1話では藤原道長のお兄さんが紫式部のお母さんを刺し殺すシーンがあって驚きましたが、平安の貴族たちは、血を流す穢けがれを嫌って、暴力や血を流すことは武士に任せたので、そこから武士が台頭してくるんだなと。その後、源平合戦を経て血なまぐさい殺し合いになると、死刑も復活、斬首、磔なんかが行われるようになりますよね。戦国時代の処刑方法で、いちばんスゴイと思うのは『牛裂きの刑』ですね。両手両足を縛ってそれを牛に引っ張らせて身体を裂いてしまうのを、皆が見てる前でやるって、いったいどんな重罪なんだよって思いますけどね」

 歴史ライターの上永哲矢氏は、

「戦国時代には敵の武将の首を取ることで、報奨が得られたので、処刑手段としての斬首は残酷な刑とは感じなかったと思いますね」

 と、現代の目線からすると、残虐そのものの刑罰も“日常性”の中にあったと語る。

河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊:「日本三大幕府を解剖する」(朝日新書)。

桐畑トール(きりはた・とーる)72年滋賀県出身。お笑いコンビ「ほたるゲンジ」、歴史好き芸人ユニットを結成し戦国ライブ等に出演、「BANGER!!!」(映画サイト)で時代劇評論を連載中。

上永 哲矢(うえなが・てつや)歴史writer/紀行作家。神奈川県出身。日本をはじめ中国や台湾などの史跡を取材したルポを中心に手がける。著書「戦国武将を癒やした温泉」(天夢人/山と溪谷社)「三国志 その終わりと始まり」(三栄)など。

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