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記事全文を読む→世界の福本豊<プロ野球“足攻爆談!”>「僕がプロで208本塁打だった理由」
春はセンバツからという言葉があるが、今年は始まる前から異常気象の暖かい日が続いている。それはさておき、この大会から新基準のバットが使用されて、野球がどういうふうに変わるか興味深い。最大直径が67ミリから64ミリ未満に細くなり、低反発になるという。わざと違反する高校はないと思うけど、バットが規定通りか、どういうふうに確かめるんやろ。いずれにしろ、これまでより投手戦が増えるのは間違いなく、守備と走塁が重要視されるようになる。
金属バットが甲子園に導入されたのは1974年からで、我々の頃は木製のバットを使っていた。木のバットは折れやすく、予算の少ない学校や、球児の財政的な負担を小さくするための金属バットと言われている。確かに僕も試合用のバットは1本だけで3年間、折れないように大事に使った。練習は竹バットを使用。竹バットは折れてもガムテープなどで補強して使うことができた。中学時代は試合にも出たことがなかったので、どんなバットを使っていたのか忘れてしまったけど。
スタンフォード大学への進学が発表された佐々木麟太郎は花巻東で140本のホームランを打ったけど、それも飛ぶバットの恩恵が大きい。我々の高校時代はホームランはめったに出なかった。3年夏の大阪予選は自分らもビックリするほどの快進撃で甲子園出場を果たしたけど、その夏の大鉄高のホームランは0本やった。僕自身、高校時代は1本も打ったことがない。初めてのホームランは社会人の松下電器に入ってから。都市対抗の後楽園での1本だけ。ホームランを打ったことがないから入るとは思わず、二塁まで全力で走った。プロでは208本のホームランを打てたけど、社会人時代に打った1本は今でもしっかり覚えている。
新基準の飛ばないバットでどう打つか。今までのような腕力まかせのスイングではなく、体全体を使ったスイングで打たないとサク越えは難しくなる。理にかなったスイングを覚えることで、打者のレベルは全体的に上がると思う。僕が現役時代に使っていたツチノコ型のバットなんて、腰を使ってスイングしないと振れなかった。短く持ったとはいえ、1キロを超えるバットで、その重さを利用して村田兆治の剛球を打ち返すことができた。
あんな太い材質のバットはメーカーになかなか作ってもらえないので、興味のある選手は僕のところに何人ももらいに来た。バットを折ることはほとんどなかったから、気前よくどんどんあげたけど、使いこなせるようになる選手は少なかった。大石大二郎(近鉄)はうまく使っていたけど、それは彼も西本幸雄監督に鍛えられた門下生やったからやと思う。腰で振る「西本型」でないとツチノコバットは使えない。
僕自身は初めて使った時から違和感がなかった。もともとは南海の藤原満さんが使い始めたのを、阪急の先輩の大熊忠義さんが目をつけて僕の分も一緒に作ってくれた。プロ入りして10年近く経った頃やった。もともとバットにこだわりはなかったけど、使ってすぐに気に入った。体が小さく非力な僕にはバットの重さを利用することで、速い球にも力負けしなくなった。アマで1本だった僕が、プロで208本のホームランを打てたのは、西本さんに教わったスイングと、ツチノコバットのおかげやね。
福本豊(ふくもと・ゆたか):1968年に阪急に入団し、通算2543安打、1065盗塁。引退後はオリックスと阪神で打撃コチ、2軍監督などを歴任。2002年、野球殿堂入り。現在はサンテレビ、ABCラジオ、スポーツ報知で解説。
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