大型連休を目前に控え、旅行やレジャーの計画に胸を躍らせる時期がやってきた。かつてのゴールデンウィークといえば、家族連れの行楽や帰省ラッシュが風物詩だったが、令和の今はその常識が塗り替えられつつある。近年、若い世代の間で「ソロ活」は一過性のブ...
記事全文を読む→「善光寺如来の祟り」で滅亡し死に追いやられた武田信玄・織田信長・豊臣秀吉の「罰当たり行状」
「日本の歴史を変えたんじゃないか。とんでもない力、ご利益が善光寺にはある」
YouTubeチャンネル〈島田秀平のお開運巡り〉で力強く断言するのは、手相占い師でタレントの島田秀平である。パワースポットとして知られる長野県長野市に鎮座する善光寺の如来と戦国武将にまつわる数奇な運命を解説した。
西暦552年、百済から伝えられた日本最古の仏像・善光寺如来。642年に、現在の地(当時は信濃国)に移されたとされる。ところが戦国時代の43年間だけ、その場所が移動していた時期があった。最初の移動は甲斐の武将・武田信玄によるもの。甲斐善光寺を建立し、ご利益のある如来一式を、全て移してしまったのだ。島田は言う。
「これ、かなり罰当たりなことだったと思いません? その後の武田信玄、活躍はするんですが、病気になってしまう。息子・勝頼の時代に織田信長と徳川家康に戦で負け、戦国最強を誇った騎馬軍団は滅亡に追い込まれてしまうわけですね」
「善光寺如来の祟り」ではないかと噂されるも、「そんなに凄いんだったら自分の手元に置きたい」と考えた織田信長が、美濃国に移動させる。その3カ月後、「本能寺の変」で信長は暗殺された。一時は徳川家康が信濃国に戻すも、今度は豊臣秀吉が方広寺(京都府)に善光寺如来を移すと、翌年5月に病気を患うことに。さすがに「善光寺如来の祟り」と恐れた秀吉は信濃国に戻す命令を出したが、なんと翌日に世を去っている。島田がさらに力説する。
「これ、凄くないですか。戦国最強軍団の武田軍が滅亡になり、日本を手中に収めようと思っていた織田信長という強い武将も討ち取られてしまい、大事にしていた徳川家康は無事で、持っていってしまった豊臣秀吉、豊臣家も滅亡になってしまいましたからね」
昔から「一生に一度は参れ善光寺」と言われてきたが、確かに手を合わせてみたい逸話の数々なのである。
(所ひで/ユーチューブライター)
アサ芸チョイス
3月から4月にかけて、地方などの首長選で自民党推薦候補が相次いで敗北している。高市内閣が依然として高い支持率を保つのに、だ。PR会社関係者が明かす。「4月12日の東京・練馬区長選では自民などが推薦し、小池百合子都知事も支援した前都議が圧勝す...
記事全文を読む→まさに「泣きっ面に蜂」である。ほかでもない、「後発地震」と「山林火災」と「クマ出没」という、未曽有の「三重苦」に見舞われている岩手県大槌町の被害実態だ。町民の心胆を寒からしめているコトの次第を、時系列に沿って追ってみると…。三陸のリアス式海...
記事全文を読む→中国で今、国防の要となるエリート科学者たちが、まるで示し合わせたかのように次々と謎の死を遂げている。公表されているだけでも、その数は9人。死亡者の年齢は26歳から68歳までと広いが、中国メディアやSNSでは「深夜の交通事故」など、その死亡原...
記事全文を読む→

