巨人、日本ハム、DeNAで16年間現役を務め、主に中継ぎとして22勝26敗22セーブ99ホールドを挙げた林昌範氏(41)。17年に引退したあとは、父親が社長を務める「船橋中央自動車学校」(千葉県)で新たな人生をスタートさせた。
林氏の父親が自動車学校を創立したのは71年のことだった。
「幼い頃は自動車学校が遊び場でした。週1回の定休日に敷地内で遠投の練習をしたりもしていましたね。01年のドラフトで巨人に入団してからは、僕が好きな野球を続けることに反対はされませんでしたけど、当時から父に『将来的には自動車学校を継いでほしい』と言われていました」
3球団で活躍したプロ野球人生にピリオドを打つと、70歳を超えた父親から頼まれて、自動車教習に関する勉強を始めた。
「父からは『経理を見てくれ』と頼まれました。とはいえ、野球とはまったく異なる世界ですし、簿記や財務に関する参考書を何冊も買って読みました。当時はパソコンもできなかったので教室に通ってエクセルの使い方などを覚えたりもしました。それでも入社した当初は、周囲から自動車教習についての知識はないだろうと思われていて、会話は野球の話がメインでしたね。けれど、コミュニケーションの入り口としては、それでもいいととらえていました」
経営について野球界での強みが生きたのは、11年の暮れに入団が発表されたDeNAでの経験だった。DeNAとしては球団運営1年目で、春季キャンプの前日、フロントから「ファンサービスに徹してほしい」と言われたことが印象的だったという。
「巨人と日本ハムでは『勝つことが大事』だと教わりました。しかし、当時、DeNAがホームとする横浜スタジアムはガラガラで、どうすればお客さんが入るのか、ファンを呼び寄せるために、さまざまな企画も行われました。現在は常に満員ですが、そうした経営努力を怠らなかった結果だと思っています」
そういう意味でも、DeNAに在籍した6年間の経験はとても大きかった。
「野球と自動車学校という違いはありますけど、経営を学べば学ぶほど、父の経営者としてのすごさを感じさせられました。野球しかしてこなかった私に『あれは? これは?』など、いろいろ指示されることも多かったんですけど、それは私に経営を学ばせるためだったんだと思います。プロ野球選手時代は、契約更改の評価基準に納得いかない時もありましたが、経営に携わるようになってからは理解できました(笑)」
入社して3年目、最大の試練にブチ当たる。父親が経営する自動車学校は船橋と、系列校として鎌ヶ谷市にもあるのだが、コロナ禍のため、いずれも休校。しかし、約100人の社員の給料や車検代などの経費はかさむ一方だ。
「他の自動車学校はオンライン講習を導入しているところもありました。確かにオンラインのほうが利益率は高いんですけど、どうしても指導が行き届かない面があるんです。例えば、安全運転の知識を教えてくれる安心感は、対面だからこそ得られるものだと思っています。今はあらゆる情報をネットで簡単に調べられる時代になりましたが、自分自身で実際に体験して考え抜くことも成長につながりますし、コミュニケーションや学科指導レベルもオンラインでは伝わりません。なので私は、対面指導を重視しています」
もう1つ、林氏が大事にしているのが「卒業生のアンケート」だ。「興味を引く指導をしてくれた」「質問にわかりやすく答えてくれた」などと記されており、それが指導の大きなヒントになっている。
「自動車学校としてのレベルを高めるために、アンケートの回答は教習指導員と共有しています。その効果もあってか『免許取得後1年以内の教習所別人身事故率』では、千葉県内の教習所の平均を下回っているんです」
そうした指導力のアップに加えて、さまざまな企業にヒアリングをしつつ、人事評価の項目を自分で作るなど、林氏は長いスパンで自動車学校のビジョンを描いている。
「野球でもコーチの教えが必要なように、教習所でも指導員のホスピタリティやクオリティーは大事です。今はAIを使った教習も行われていますが、人の教えを受けることは、自動車学校に限らず、あらゆる世界で重要だと思っています。いずれは、新時代の自動車学校を作りたいですね。例えば校内に高齢者向けのパソコン教室を開くなど、自動車教習以外でも通いたくなる理由をどんどん取り入れていきたいです」
現在、専務取締役として勤務する林氏の夢は、まだまだこれからだ。