昭和から平成にかけての高校運動部は、競技を問わず厳しい練習が行わたものである。サッカーなら鹿児島実業高校と、ライバルの国見高校の練習は特に厳しいと言われた。しかし、鹿実出身の城彰二氏がYouTubeチャンネルで明かしたところによれば、それは我々の想像をはるかに越えるものだった。嫌だった練習は何かと聞かれた城氏は即答する。
「全部」
そしてこう説明し始めたのである。
「盛ってるわけでも何もなく、本当にきつい。あの当時の鹿児島実業高校の練習はもう、とてつもないと思う。だから皆さんがある程度の高校でサッカーをやってたっていう、その練習量っていうのは、僕たちのほんとにウォーミングアップ程度」
城氏が挙げたのは、月曜日に行われるロード練習。通常、日曜日に試合をするため、月曜日はオフでミーティングだけなのだが、学校のそばの川っぺりを走らされるのだという。その距離は10キロから25キロにもなるそうで、
「なぜそんなに(距離が)増えるかっていうと、(鹿実の)松澤監督の話によると、当時ライバル校だった国見高校が、先週15キロ走ったらしいよってなるわけ。そうすると『お前ら、それでいいの?』って。俺たちは負けたくないから、じゃあ俺たちも15キロ走りましょう、ってなるわけ。1カ月ぐらい経つと『国見、20キロ走ったんだってな』とか言って、俺たち負けられないね、25キロ走りましょう、とかね。そういうふうになっていくわけよ。でも今考えたら、この情報どっから来てんの、って話なのよ。国見がそんだけ走ったというのは、松澤監督しか知らないわけよ。松澤監督が嘘を言ってた可能性があるよね」
プロになってから国見高校出身の三浦淳宏に聞いたところ、国見高校でも監督が「鹿実はこれだけ走った」と言って選手を煽る、同じことが行われていたという。
走っただけでは終わらず、その後にジムに行って筋トレをする。
「結局、月曜日は休みじゃない」
と城氏は言うのだった。
月曜日のロードを越えるのが、鹿実名物の「ダッシュ期間」だ。これはゴールラインをスタートして、反対のゴールラインで折り返して戻ってくる練習を指す。往路を17秒、合計43秒で走り切るルールがあり、1日に最大で120本も行う。タイムを守らないと1本追加となるため、とても厳しい練習だったと城氏は振り返る。
「夏のダッシュ期間は過去一(きつい)と思う。1日に3台、救急車が来たことがあるし、高校生なのに血尿が出る。走る前に塩を舐めるんだから。お昼ご飯食べてからやるから、裏に行って(のどに)指を突っ込んで吐いて、少しでも軽くして走る選手もいた」
昭和の部活あるあるで、ダッシュ中は水分を取ることができない。そのため城氏は、ある工夫をしていた。
「最初は少しでも(服装を)軽くしたい。短パンはペラペラのを穿いて、パンツは穿かない。上半身は裸。30本目ぐらいになると、用意しておいたTシャツを着る。汗をかいているからTシャツに汗が染み込むので、それを吸うの。汗を水分として走る」
まるで地獄のような練習だが、これを経験したからこそ日本代表として活躍できたのだろう。
(鈴木誠)