アメリカ、カナダ、メキシコの3カ国共催によるサッカー北米W杯が、2026年(6月11日~7月19日)に開催される。アメリカでは32年ぶりのW杯となるわけだ。
筆者は1994年のアメリカW杯を取材している。20試合以上観戦したが、印象に残った試合は少ない。それよりも強く残っているのは、うだるような暑さだ。
当時のアメリカは「サッカー不毛の地」と言われていたこともあり、国内の関心は高くなかった。そのため、多くの試合はヨーロッパのゴールデンタイムに合わせて行われた。
7月17日の決勝戦ブラジルVSイタリア戦は、午後12時35分キックオフ。気温は38度。ピッチ上は40度を超えていたのではないか。あれはサッカーの試合をする環境ではなかった。
2026年の試合のキックオフ時間はまだ発表されていないが、選手ファーストの大会になってほしいものだ。
もうひとつ、強烈に頭に残っているのは、あのディエゴ・マラドーナがドーピング検査で陽性となり、大会から追放された事件である。
グループリーグ2試合目のナジェリア戦後に行われたドーピング検査で、アルゼンチン代表のマラドーナから禁止薬物が検出。筆者はナイジェリア戦を現地で観戦していた。アルゼンチンの攻撃陣はマラドーナを中心に躍動し、有力な優勝候補だと確信した。
それだけに、この事態には衝撃を受けた。FIFAの発表があった翌日、マラドーナは会見を開き、
「これは何かの間違いだ。自分は何もしていない」
と薬物使用を否定した。しかし、マラドーナには薬物使用の過去があったことから、メディアは彼の言動を冷めた目で見ていた。
会見終了後、筆者は会見場内で立ったまま、自分が書いたメモを見ていた。すると隣で大声をあげ、泣きわめく男がいた。ギョッとしてその男の顔を見ると、それはマラドーナ。不意を突かれた筆者は「おお!」と声を出して驚いた。
マラドーナはテレビ局のカメラに向かって両手を広げ、涙を流しながら潔白を訴え続けていた。
「オレを信じてくれ! オレは無実だ! FIFAの罠だ!」
おそらくアルゼンチンのテレビ局のカメラだったのだろう。とはいえ、FIFAの決定が覆るわけもなく、天才は大会を去った。そんなこともあって、大会に対する興味は半減してしまった。
さて、彼はその後、アルゼンチンのボカジュニアーズでのプレーを最後に、現役を引退。指導者となった。
2010年の南アフリカW杯ではアルゼンチン代表監督として、チームを率いた。この大会では選手以上に、マラドーナのオーバーアクションが話題となった。テクニカルエリアに立ち続け、両手を広げ、悲壮な表情でレフェリーに抗議する姿は、まさしくアメリカW杯の会見場で見た、涙の抗議の姿そのものだった。
(升田幸一)