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記事全文を読む→〈立川談志「最後の弟子・立川談吉」が書く「最期の時」〉第1回(3)納棺師と「噺家の死化粧」を…
納棺師が仕事を始めた。体を拭き髪を整えお化粧をすると、綺麗なジャイアンもとい綺麗な談志が出来上がる。血の通っていない肌に僅わずかな生気が吹き込まれていった。死化粧とは凄いものだ。
「談吉くん出番だよ」
弓子さんにそう言われ、持ってきた風呂敷から着物を出した。白装束ではなく高座で着せる黒紋付で送りたいと頼まれていたのだ。
「ご遺体にこの着物を着せるんですね、順番はどうしますか」
「まずこの襦袢を着せたいです」
「こちらですね」
納棺師はプロフェッショナルなのでご遺体の稼働範囲を熟知していた。死体に“かんかんのう”を踊らせるがごとく、腰を持ち上げ手際良く両腕を袖に通していく。小僧も腰紐を通したり結んだりしていたがこれがなかなか難しい。考えてみたら楽屋で死んでいる人に着物を着せたことがない(当たり前だ!)のだった。
襟元を綺麗に整えてから黒紋付に取り掛かる。納棺師がまた体を持ち上げて着物を引っ張ると、シュルシュルッと体にフィットした。きっとテーブルクロス引きも上手なんだろう。両袖を通して襟元を整えて帯を巻きつけた。本来ならギュッと締めたいところだが、あまりキツく締めるとなんか出ちゃうらしいので緩めにしておいた。黒紋付のご遺体が出来上がり、いよいよと袴にとりかかった。
「これどうするんですか」
流石の納棺師も遺体に袴をつけたことはないようで頭上にハテナが浮かんでいた。さあ、ここが小僧の腕の見せ所。何百回とまでは言わないが、何十回かは師匠に袴をつけてきた。時にはキツめに、時にはゆる過ぎて大衆の面前で袴が取れてしまい大しくじりしたほどの腕前、赤子の手を捻るようなものだ。
ご家族の皆さんも期待の眼差しで見ていたので気合を入れてかかったのだが、正直これがめちゃくちゃ難しかった。体操競技の技でたとえると、着物が難度Dのモリスエだとしたら、袴は難度Eのシライキムヒフンだろう。何だこのわかりづらいたとえは‥‥。
納棺師も手を出せない難度の技を汗をかきながらまとめ上げ、何とか着地にもっていった。見事黒紋付に袴姿のご遺体が完成した。
「かっこいいね」
弓子さんの言う通り確かにかっこいい。さすが黒紋付、日本人の正装だ。紋付き袴のご遺体に扇子と手拭いを持たせると、ご遺体が立川談志に変わった。安らかに眠っているはずなのに、心なしか顔も引き締まったように感じて、その姿を見て急に涙が止まらなくなった。それは小僧が見ていたいつもの師匠だった。本当に〝談志が死んだ〟のだと思った。
師匠のご遺体の前に簡易的な祭壇が作られ、お別れの儀式が始まった。師匠が好きだったジャズの名曲ザッツ・ア・プレンティをラジカセで流しながら、一人ずつ手を合わせていく。当然小僧が一番最後だったが、弓子さん曰く小僧が手を合わせた時に、ちょうど曲が終わったらしい。ザッツ・ア・プレンティ、意味は「これで満足」だそうだ。
仕事が終わり表に出ると、夕日が名残を惜しむように沈みかけていた。
立川談吉(たてかわ・だんきち)1981年12月14日生まれ。北海道帯広市出身。2008年3月に立川談志に入門。11年6月に二ツ目昇進。12年4月に立川左談次門下へ。18年7月に立川談修門下へ。26年3月1日に真打昇進「立川談寛」襲名予定。
写真/産経ビジュアル
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