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記事全文を読む→プロ野球「オンオフ秘録遺産」90年〈落合博満が日本人初の「年俸調停」に踏み切った!〉
1991年3月8日の夕刻、ナゴヤ球場内に設けられた記者会見場には、約100人の報道陣が詰めかけていた。
主役の落合博満は着席すると、こう切り出した。
「代表質問はいいでしょ。ボクが話して終わりです。それでいいでしょ」
落合はロッテから中日に移籍して4年目となる90年に34本塁打を放って、セ・リーグに移籍後初めて最多本塁打のタイトルを獲得した。
史上初の両リーグ本塁打王である。
この年は4度目の三冠王を目標に掲げた。102打点で打点王も手中にした。ただし、首位打者争いでは打率2割9分でリーグ13位だった。
星野仙一の監督4年目シーズンは、チームが86年以来のBクラスとなる4位で終えていた。
史上初の両リーグ本塁打王にはオフに思いもよらぬ「騒動」が待っていた。
発端は90年12月27日、球団との契約更改交渉だった。1時間を超える話し合いは物別れに終わった。
落合は1億6500万円から3億円を希望して、“妥協額”として2億7000万円を要求した。
これに対し、球団側は2億2000万円を提示した。その差は5000万円だ。
落合に1歩でも引く気はなかった。球団首脳に訴えた。
「オレはこれぐらいの商品だと思っています。だから、この金額でオレを買ってください」
落合はこの時点で球団側に「自費キャンプでもいい」と申し出ている。球団も強硬な姿勢を崩さず「開幕までにサインすればいいんだから」と応戦した。
91年2月1日からキャンプが始まっても、両者はまとまる気配がなかった。
落合は日本人としては史上初となる「年俸調停」を決断した。両者の差は5000万円だ。どちらも譲らなかった。
同制度は互いの希望額を提示した上で第三者に判断を委ねるものだ。野球協約第94条に定められている。
今回の調停委員会のメンバーはコミッショナーの吉國一郎とセ・パの両会長だった。
日本球界では過去に1例だけあった。73年、阪神のレオン・マックファーデンが約5000ドル(当時のレートで135万円)減額に対し、調停に踏み切った。調停委員会は減額が妥当と裁定を下した。マックファーデンはこの裁定を不服として、協約に従い任意引退選手となった。球団が拒否した場合は保有権を喪失。つまり、自由契約となる。
3月8日、セ・リーグの事務局長と球団首脳が調停書を落合に手渡した。
「金額は2億2000万円です。今、契約更改が終わりました。2月15日に調停申立書を(調停委員会に)渡しました。渡した時点で契約更改は終わりだと思っていました」
そして、続けた。
「たまたま今日、2億2000万円という数字が出たということで、この一件は終わりにしたいと思います」
調停委員会は球団提示の2億2000万円を支持し、落合の希望した2億7000万円を退けたのだ。
吉國はこんな見解を出した。
「落合選手の主張する2億7000万円は、夢の世界の金額としては理解を超える額だと思う。もっと低くても十分に夢を考えられる」
落合はこう言い続けてきた。
「単にお金が欲しいからじゃない。子供たちに夢を与えられる世界にするために、球界全体の待遇向上のために調停に持ち込んだ」
しかし、調停委は落合の主張を一蹴した。
この裁定は波紋を呼んだ。落合の主張を支持する見方は少なく、多額の年俸を要求する姿がマスコミや世間からは「わがまま」「銭ゲバ」「金の亡者」と批判された。
プロ野球選手が自己評価をしていくらかでも高く売りたい。プロの評価は金だ。
この時点で、プロ野球選手の多くは「年俸調停」という制度自体を知らなかった。
プロ野球の年俸交渉は球団サイドが主導権を握り、保有権を盾に「雇い主と従業員」のような関係で選手に迫り、契約させるケースが多かった。
選手たちは保有権を握られているので、イヤでもサインをするしかなかった。
日本人選手は球団が提示した金額に従う。従わなければならない。そんな空気が色濃く漂っていた。
世間はもちろん、他のプロ野球選手たちは固唾をのんで落合と中日の「年俸調停」の行方を見守っていた。
落合は敗れたものの、他の選手たちに権利として認められた交渉の道があることを広く知らしめた。選手たちは自分の価値を強く意識するようになった。
落合は後に「金額ではなく調停委員会にかけることが目的だった」と語っている。年俸闘争の在り方に風穴を開けたのである。その戦いは「銭闘」であり、「オレ流」を貫いたのだ。
日本人調停選手第2号は、2年後の92年オフだった。横浜(現De NA)の高木豊で、この時は「高木寄り」で決着した。
以後、選手が年俸調停を申請するケースが続出した。
落合は91年、打率3割4分、37本塁打、91打点という好成績を挙げた。本塁打、最高出塁率のタイトルを獲得した。
翌年の年俸は3億円だった。日本人初の1億円に続き、初の3億円プレーヤーに上り詰めた。実力で夢を実現した。
今年も巨人・岡本和真ら3人がメジャーに移籍した。日本人選手がどんどん流出している。この流れは止まらない。
昨年のデータによれば、日本の1軍平均年俸は4905万円、メジャーのそれは7億6000万円、その差は15倍以上である。
(敬称略)
猪狩雷太(いかり・らいた)スポーツライター。スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。
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