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記事全文を読む→気になる著者に直撃!〈田原誠次〉阿部監督は全然怖くありません。厳しさは選手へのエールです
「巨人をクビになりハローワークに通った男が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ”」
菊地高弘・編集
カンゼン/1980円
巨人軍の中継ぎ投手として8年間活躍した田原誠次氏は20年11月、戦力外通告を受けて現役を引退。その後、工場に勤めながら執筆した週刊誌の野球コラムが大きな話題を呼んだ。それをまとめた本書では、阿部慎之助監督や球界スターたちの秘話がふんだんに明かされている。
11年にドラフト7位で巨人に入団後、1軍で残した通算成績は12勝7敗35ホールド(防御率3.13)。1年目から中継ぎ投手として活躍し、16年にはチーム最多となる64試合もの登板を記録した。
「中継ぎ投手は失敗が許されないポジションです。先発は1度投げたら1週間は休みですが、中継ぎはいつでも投げられるように毎試合、肩を作っているので休みはありません。ブルペンの呼び出しの電話が鳴るたびにビクッとしていましたね」
中継ぎとして確固たる地位を築くと同時に、そうした過酷な状況を少しでも改善できるよう、球団サイドに訴え続けた。
「僕がプロ入りした12年に巨人は日本一になっています。あの時は新人でしたが、次は自分も貢献して日本一になりたかった。そのためには中継ぎ陣が足りないと感じていました。なので契約更改の時、3年続けて中継ぎ陣の補強を訴えましたが、球団の姿勢が変わりそうにないので契約を保留しました。これが理由で戦力外通告されたのかはわかりませんが、仲間から『よく言ってくれた』との声も聞けたので、後悔はありません」
巨人に入団する前は社会人クラブチーム「三菱自動車・倉敷オーシャンズ」に所属。同チームの自動車工場で働いていた経験もあり、第二の人生に迷いはなかった。
「巨人を退団したあと、ハローワークの紹介で給湯器を製造する工場に就職しました。あの時は野球と離れる時間が欲しかったんです。プロ野球選手の頃から『見て学ぶ術』『やって学ぶ術』が身についていたので、どの製造ラインの仕事も早く覚えられて対応できましたね。巨人時代の“便利屋”の経験が思いがけず役に立ちました(笑)」
本書には上原浩治投手や長野久義選手など、当時の“裏エピソード”が多数掲載されている。現役時代、バッテリーを組んでいた阿部現監督についてはこう言及する。
「怖いイメージを持つ人も多いですけど、意思の疎通があれば、まったく怖くありませんよ(笑)。試合後には配球などについて、よく話しましたしね。厳しく見えるかもしれませんが、それは『もっといい選手になってくれ!』という阿部さんなりのエールです」
田原氏は現在、福岡市にある「沖データコンピュータ教育学院硬式野球部」でコーチも務めている。
「巨人で同期だった一岡竜司投手(14年に広島へ移籍後23年に引退)の出身校です。専門学校ですが社会人リーグに登録していて、都市対抗野球の補強選手として東京ドームでプレーする学生もいます。私は投手コーチの他、有望な学生を探すスカウトも担当しています。沖データから『第二の一岡』となれるプロ野球選手を出したい。これが私のいちばんの願いです」
〈黒川壱郎〉
田原誠次(たはら・せいじ)1989年生まれ、宮崎県延岡市出身。聖心ウルスラ学園高→倉敷オーシャンズ→巨人。11年ドラフト7位で巨人に入団すると中継ぎ投手として活躍。16年にはチーム最多の64試合に登板し「便利屋」として重宝された。20年に現役を引退。現在は沖データコンピュータ教育学院野球部のコーチを務めている。
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