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記事全文を読む→【世界の「最凶独裁者」列伝】「日独伊三国同盟」のベニート・ムッソリーニ「逆さ吊り銃殺死体」は怒りの民衆に踏みつけられた
近代における「ファシズム」の創始者であり、自らを「ドゥーチェ(統領)」と呼ばせて神格化させた男、それがベニート・ムッソリーニだ。
第二次世界大戦中、日本やドイツと「日独伊三国同盟」を結んだイタリアのトップとして君臨。その一方では「ヒトラーの操り人形」と揶揄され、最期は広場で晒し者にされるという、悲惨な末路を辿ることになった独裁者だ。
貧しい鍛冶屋の息子として1883年に生まれたムッソリーニは、筋金入りの社会主義者だった。だが、第一次世界大戦を機に、ナショナリズムへと転向。1921年に「国家ファシスト党」を結成すると、私兵組織「黒シャツ隊」を組織して、反対派を暴力で徹底的に弾圧していく。
1922年にはファシスト党員5万人を引き連れた「ローマ進軍」により、軍隊による鎮圧を恐れた国王がムッソリーニを首相に指名。合法的な顔をしながら、独裁への階段を駆け上がることになったのである。
そうなればもう、やりたい放題。
「ファシスト党以外の政党はいっさい禁止とする」
そう宣言したムッソリーニは野党を解散させ、言論を封殺すると、イタリア全土に「信じるべし、従うべし、戦うべし」というスローガンを溢れさせた。
驚くべきは、徹底した「個人崇拝」の強要だ。幹部には自らと電話で話す際に「直立不動」を義務付け、メディアには自身の演説に「万雷の拍手」と形容することを強制。敵対者には下剤効果のあるひまし油を飲ませて拷問するなど、「ムッソリーニは常に正しい」という呪文のような言葉が、国民の理性を奪っていったのである。
だが結局は、偽りの強国。限界を迎えるのは時間の問題だった。
「羊として100年生きるより、ライオンとして1日生きる方がよい」
第二次世界大戦でナチス・ドイツと手を組み、ヒトラーの盟友として参戦するも、イタリア軍は各地で敗走し、ついには国内のクーデターで失脚するハメに。一度はドイツ軍に救出されて、北イタリアに「サロ共和国」を樹立したが、もはや実権のないヒトラーの傀儡にすぎなかった。
1943年のクーデターにより、政権は崩壊。首相の座を追われたムッソリーニは、逃亡の果てにパルチザンに捕らえられ、愛人クラレッタ・ペタッチとともに射殺された。
1945年4月、ミラノの広場でガソリンスタンドの鉄骨に逆さ吊りにされた彼の死体は、怒れる民衆によって原型をとどめぬほど踏みつけられ、唾棄された。あえて死体を晒したのは、生存説を根絶し、独裁の終焉を見せしめるためだった。
「現代のシーザー」を自称し、イタリア全土を熱狂させて「羊として100年生きるより、ライオンとして1日生きる方がよい」とうそぶいたこの男、なんことはない、最後は民衆の憎悪の標的となり、無残な肉塊となって歴史の闇へと消え去ったのである。
(山川敦司)
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