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記事全文を読む→〈証言②・多村仁志〉驚異の4割1分5厘は当時の歴代最高打率「パの150キロ超投手で目、感性が磨かれていた」/俺たちのプロ野球セ・パ交流戦
横浜、ソフトバンクなどで、走攻守揃った長距離砲として活躍した多村仁志(49)。10年には当時の交流戦最高打率をマークしている。セ・パ球団どちらの立場からも戦った、交流戦を思い起こす。
─横浜に在籍していた時に交流戦が始まった。
多村 交流戦だからといって、私自身の気持ちは普段とまったく変わりませんでした。前年の04年に打率3割、40本塁打、100打点を記録しましたが、自分ではまだレギュラーに定着したとも思っていませんでしたからね。そして状態がいい時も悪い時も毎打席、常に気持ちをリセットして入るタイプだったので、その点もよかったのではないでしょうか。試合前にチーム全体でミーティングもやりますが、先入観なく、打席で感じたことを優先してバットを振っていた。そうした姿勢が交流戦、WBCのような短期決戦で力を発揮できた一因だと思います。
─交流戦独特のやりづらさもあった。
多村 当時、セの投手はうまく変化球を上下左右に散らして抑えにきましたが、パはストライクゾーンに力のある球をどんどん投げ込んできた。今はセもパワー系投手が増えたけれど、当時はまだセ・パ投手の差があった時代でしたからね。
─当時の交流戦で、自身のハイライトは?
多村 ファンの皆さんに期待されている中で、初年度から本塁打王(他3人)という結果を残せた(3割3分6厘、12本塁打、26 打点)のはよかったなと。
この年に16勝を挙げた(斉藤)和巳からも、右中間にアーチをかけられた。今でも自慢できる。マスクを被っていたジョー(城島健司)も驚いていましたよ。ホームランテラスもなく、フェンスも高い福岡ドームは当時、右打者が打球を逆方向にスタンドインさせるのってそうそうない。それを当時のパ・リーグナンバーワン投手から打てたのは本当にうれしかった。それと、06年に横浜高の後輩、(松坂)大輔からホームランを打てたことですかね。まあ、別の打席では三振にも斬られましたけど(笑)。
─交流戦3年目の07年には、ソフトバンクへ移籍している。
多村 ある程度(過去2年の交流戦で)対戦した投手もいたので、シーズンのスタートから比較的スムーズに入ることができたのはよかった。セ時代に対戦した投手のデータや球の軌道は覚えているのが役立ちました。
─交流戦では、横浜と対戦することに。
多村 やはり、横浜スタジアムでファンの方がどう迎えてくれるのかが気になった。だけど、練習の時から「お帰り!」「頑張って!」と本当に温かい声援を送ってくださり、うれしかったのを覚えています。
─10年には4割1分5厘を記録し、当時の交流戦最高打率をマークした。
多村 振ればヒットになるというような感覚はまったくありませんでした。必死に、勝とうということだけを考えていました。その結果として、最終的にその数字が残ったのだと思っています。
─両リーグに在籍して対戦し、セ・パの差はあった?
多村 やはり、パは150キロ超の投手が多く、そこで目、感性が磨かれていた。そして広い福岡ドームでやっていると、セの球場には狭さを感じました。力強く振らなくてもスタンドに入るかなと。
─13年からは、再びトレードでDeNAに戻った。
多村 古巣(ホークス)との対戦で、大隣(憲司)くんからヒットを打てたのでホッとした。ホークスファンに「元気だよ」と見せられたのもよかった。ホークスに移籍した時同様、ドーム全体で声援を送ってもらえたのはうれしかったな。
─交流戦には楽しみもあったとか?
多村 初年度などは、必ずホーム・ビジター両方の試合があったので、普段は行かない敵地の球場へ行ける楽しみもあった。試合とは別に、ベイスターズ時代には先輩方においしいお店にもよく連れていってもらった。ホークス時代は、ご無沙汰になっていた広島や名古屋。2軍なら遠征でも行けるけれど、1軍だとなかなか縁がなかったのでね。
─ソフトバンク時代、家族が暮らす場所に戻れる横浜戦は特別だったのでは?
多村 ホークス時代は単身赴任でしたので、王監督が「家族との時間も大切にしなさい」と声をかけてくださり、関東での試合の際はもちろん、翌日が移動日の場合には横浜へ帰らせてもらうこともありました。本当にありがたかったですね。試合だけでなく、生活面まで含めて気遣っていただいたことがいい結果に繋がったのだと思います。実際、家に帰ったあとの成績はよかったです。僕は「誰かのために」と思うと、より一層頑張れるタイプなんです。家族のため、この投手のため、監督のためにってね。
多村仁志(たむら・ひとし)1977年3月28日生まれ、神奈川県出身。94年ドラフト4位で横浜(現DeNA)入団。06年第1回WBCに出場し、初代世界一に貢献。ソフトバンク、中日を経て16年限りで引退。プロ野球のみならず、知識の深い米メジャーリーグの解説も務めている。
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