日本とモンゴルの外交問題に発展したモンゴル草原火災に、元横綱・朝青龍ことドルゴルスレン・ダグワドルジ氏が「物言い」をつけた。火災が起きたのは10月8日。モンゴル東部ドルノド県のヌムルグ自然保護区で規模な草原火災が発生し、東京都の約2.4倍に...
記事全文を読む→【武将の暗黒史】織田信長の弟を「うっかり殺害」した叔父・信次はホームレスになった「女装で城下をうろつく奇人」
織田信長が弟の信勝を殺害し、織田家の実権を握ったことは知られているが、信長の弟は信勝ひとりではない。11人もの弟がいたと伝わっている。
その弟のひとりを殺害して、一時逃亡していた人物がいる。父・信秀の弟・信次で、信長にとっては叔父にあたる。この信次は守山城主だった若い頃、城下町では有名な「不審者」だった。
女装して胸をはだけて太腿を出し、顔には白粉をベタベタに塗りたくって口紅をさす。そんな姿で日々、城下をうろついていた。さらに物陰から急に飛び出して通行人を驚かせ、いたずら半分で荷物や小物を奪い取っては、相手が困惑する様子を見て腹を抱えていたという。
もはや不審者を通り越して、異常性格レベルでしかない。今なら警察に通報され、逮捕されても不思議ではないだろう。
この信次がとうとう、やらかしてしまった。弘治元年(1555年)のある日のこと。信次は家臣を連れて、領内の庄内川で「川狩り(魚捕りや水遊び)」を楽しんでいた。そこへ一人の若い武士が馬に乗ったまま、通りかかったという。
家臣たちは「無礼者、馬から降りろ」と怒鳴ったが、その若者は無視して馬を走らせた。これに激怒した家臣の洲賀才蔵という弓の名手が威嚇のため、矢を放った。ところが運悪く、この矢は若者の胸を直撃。即死させてしまったのである。
家臣を置き去りにして闇夜に紛れ逃げ出した
近づいて死体の顔を確認した信次は驚愕した。この若者はなんと、信長が可愛がっていた実弟の秀孝だったのだ。いくら叔父とはいえ、信長が許すわけがない。即座に軍を率いて信次の居城である守山城を包囲し、城下町を焼き払ってしまった。
ここで信次は戦わず、家臣たちを全員、置き去りにして闇夜に紛れ、逃げ出した。なんとも気概のない男だ。さすがに女装はしていなかっただろうが、ここから数年間は、今でいうホームレスのような生活を強いられたらしい。
それから年月が経ち、信長の頭も冷えた。信次本人は殺害行為に及んでおらず、事故だったということを理解し、信次は守山城主への復帰が許された。
ここから女装癖は鳴りを潜め、真面目に武将として信長に仕えたが、天正2年(1574年)、信長が総力を挙げた「長島一向一揆」第三次攻撃に従軍。追いつめられた一揆宗教徒たちの捨て身の猛反撃にあい、壮絶な討死を遂げたのである。
女装の奇人、そしてホームレス、最期は武将として死んだ信次の生涯は、当時としてもかなり波乱万丈だった。
(道嶋慶)
アサ芸チョイス
「本格復帰に向けた観測気球を兼ねているのでしょう」こう話すのはさる芸能ジャーナリストだ。10月26日に開催された東京国際映画祭のレッドカーペット。雨が降りしきる会場で報道陣や観客の目をひと際引いたのが、女優の永野芽郁である。主演とプロデュー...
記事全文を読む→今年のお笑い賞レースは10月17日に「キングオブコント」が終わり、あとは11月1日の「NHK新人お笑い大賞」、そして12月の「M-1グランプリ」を残すのみ。賞レース番組では審査員の採点、コメントが大きくクローズアップされるが、その責任の重さ...
記事全文を読む→前巨人2軍監督・桑田真澄氏の次男でタレントのMattから「性被害を受けた」として、一昨年から今年にかけて、警視庁に複数の被害届が提出されていたと「週刊文春」が報じている。それによると、1人目の被害者は今年1月、都内でMattと美容系インフル...
記事全文を読む→
