秋風が心地よく吹き抜け、家飲みが一段と楽しくなる10月。仕事終わりの晩酌や週末のリラックスタイムに「いつもとはひと味違う、極上の酒の肴を楽しみたい」と思ったらどうするか。もちろん酒場へ繰り出すのも悪くないが、自宅のキッチンで手軽にプロ顔負け...
記事全文を読む→「世代論」で読むプロ野球〈松坂世代・続〉(1)松坂1人の物語ではなかった
破格の世代だった。時代の顔を背負うことのできる逸材が、これほど揃っていたとは。カリスマたちの競合は、それぞれが「自分の役割から逃げない」戦う姿勢を見せつけたことに醍醐味があった。昭和的な野球の匂いを醸す黄金世代の存在感。怪物・松坂を中心とした群像劇に迫る!!
1980年度生まれの選手たちは、平成のプロ野球を駆け抜けた世代だ。だから彼らを「昭和的」と呼ぶのは、単に生まれた元号の話ではない。もっと感覚的に言えば、個人がチームの看板を背負い、勝敗の責任を自分の身体で引き受け、痛みも不振も言い訳にしない‥‥そういう古いエース像、主砲像、守護神像を最後まで濃く残した世代だった。
その象徴が松坂大輔であることに異論はない。98年夏の甲子園で横浜高校を春夏連覇に導き、プロ入り後も西武、日本代表、MLBで常に「怪物」として見られ続けた。NPB通算では114勝65敗、防御率3.04。数字だけを見ても一流だが、松坂の本質は数字以上に「物語の中心から降りられなかったこと」にあった。
「松坂世代」という言葉は、あまりにも強い。98年夏の甲子園で、横浜高校の松坂大輔が残した記憶が巨大すぎたため、この世代は最初から1人の怪物の名前で語られることになった。
延長17回、250球、翌日の救援、決勝ノーヒットノーラン。普通なら1つでも伝説になる出来事を、松坂はひと夏でまとめて背負ってしまった。だから80年度生まれの選手たちは、プロに入る前から「松坂と同じ学年」という文脈の中に置かれた。
しかし、時間が経つほどに明らかになったのは、この世代が松坂大輔1人の光ではなく、複数のカリスマが同時に走った世代だったという事実である。杉内俊哉、和田毅、藤川球児、村田修一、新垣渚、館山昌平、小谷野栄一、東出輝裕‥‥と先発、救援、主砲、職人型の野手まで、役割の幅が広い。単に「いい選手が多かった」というより、各ポジションに“その時代の顔”がいた。
しかも彼らは、いかにも昭和的な匂いを残していた。もちろん、彼らが主に活躍したのは平成である。だが、そのスター像は令和的な分業型・効率型とは少し違った。先発は長いイニングを投げ、救援は連投を恐れず、主砲は責任を一身に背負う。勝った時だけでなく、打たれた時、打てなかった時、壊れた時でさえ、人前に立つことを求められた。彼らは数字以上に、「逃げない姿」を見られる世代だった。
この世代の面白さは、松坂という巨大な看板に対して、他の選手たちがそれぞれ別の方法で「自分もいる」と証明していったところにある。杉内は左腕の美学で、藤川は一球の爆発力で、村田は主砲の矜持で、和田は長寿と進化で。
松坂世代とは、松坂の陰に隠れた世代ではない。松坂という基準があったからこそ、それぞれが独自の戦い方を研ぎ澄ませた世代だった。
ゴジキ:野球評論家・著作家。「データで読む甲子園の怪物たち」(集英社新書)ほか著書多数。「マネジメント術で読むプロ野球監督論」(光文社新書)が重版出来。発売前から重版となった最新刊「システムで読む甲子園」(カンゼン)が絶賛発売中。Yahoo! ニュースエキスパート。
アサ芸チョイス
過去の選挙での問題発言に加え、支持者をシャトルバスで無料送迎していたことをめぐって事実関係の弁明を二転三転させた末に、簗和生前農水相(裏金1746万円)が事実上の更迭となった。国会審議で野党から追及された際、当初は「選挙管理委員会に確認して...
記事全文を読む→昼どきの日本列島に緊張が走った。10月16日午後0時40分頃、気象庁は北海道根室市から北東約750キロの千島列島付近を震源とするマグニチュード(M)9.9の巨大地震が発生したとして、緊急地震速報を流した。テレビに映し出されたM9.9の数字に...
記事全文を読む→コント日本一を決める大会に「大人の事情」は無関係だった。10月17日に生放送された「キングオブコント2026」(TBS系)で、エントリー3445組の頂点に立ち、賞金1000万円を獲得したのは、吉本興業所属のジェラードン。アタック西本とかみち...
記事全文を読む→
