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記事全文を読む→「世代論」で読むプロ野球〈松坂世代・続〉(2)杉内と村田の「異なる武器」
杉内俊哉は、松坂世代の中でも最も“職人の狂気”を感じさせる投手だった。豪速球でねじ伏せるというより、独特のフォーム、直球の伸び、チェンジアップ、内外の出し入れで打者を削っていく。
NPB公式記録でも、2005年には18勝4敗、防御率2.11、218奪三振という圧巻の数字を残し、ソフトバンクのエースとして頂点を極めた。通算でも316試合、142勝77敗、防御率2.95、2156奪三振。まさに「勝てる奪三振型左腕」だった。
また、松坂は杉内の引退時に、
「高校時代に対戦してからずっと強く意識してきた仲間で、最高のライバルだった。(投球)フォームや野球への考え方が好きだった。同じ時代に杉内俊哉がいたから自分も頑張ってこられた」(2018年9月12日・朝日新聞デジタル)
と話すほどの存在だった。
杉内の凄さは、フォームの美しさだけではない。マウンド上の感情の出し方も含めて、どこか剥き出しだった。静かに見えて、内側は常に燃えている。打者を見下ろすようなタイプではないが、自分のボール、自分の間、自分の勝ち方に対するこだわりが異様に強かった。
松坂が「怪物」なら、杉内は「研ぎ澄まされた刃」だった。派手な物語で飲み込むのではなく、試合の中でじわじわ相手の呼吸を奪っていくタイプのカリスマである。
村田修一は、投手中心に語られがちな松坂世代において、野手側の象徴だった。横浜時代の村田は、チームの勝敗が苦しい中でも、四番として本塁打を打つことを自分の仕事にした。08年には46本塁打を放ち、巨人移籍後も中軸として存在感を残した。
NPB公式記録では、通算1953試合、1865安打、360本塁打、1123打点。14年には史上40人目の通算300本塁打も達成している。この大打者が生まれたのも松坂の存在が大きかった。
「高校の時に見た時に、高校生の中に1人プロ野球選手がいるなっていう感覚だった。ちょっと異質なものを見せてもらったなと。いつかあのボールを打てるようになれば、僕もプロ野球で成功するかな、とそれをイメージして、ずっと練習を続けてきた。そういう意味では、打者村田ができあがったのも彼のおかげですし、最後まで僕も頑張れた」(2021年10月19日・日刊スポーツ)
とコメントするほどだった。
村田の魅力は、良くも悪くも「主砲の責任」から逃げなかったことだ。三振もする。併殺もある。だが、それでも長打を求められる打席で、自分のスイングを小さくしすぎない。現代野球のように出塁率や打球角度で細かく説明される以前の、四番打者の重さを背負った選手だった。チームの空気が沈んでいる時に、一振りで景色を変える。それができる打者は、やはり特別である。
ゴジキ:野球評論家・著作家。「データで読む甲子園の怪物たち」(集英社新書)ほか著書多数。「マネジメント術で読むプロ野球監督論」(光文社新書)が重版出来。発売前から重版となった最新刊「システムで読む甲子園」(カンゼン)が絶賛発売中。Yahoo! ニュースエキスパート。
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