渦中の人となった山口組極心連合会・橋本弘文会長。山口組内でNO4の立場とされる「筆頭若頭補佐」でもある最高幹部・橋本会長の武闘遍歴と、知られざる素顔に迫る。
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「ひと言で言うと、相手が堅気でも親分衆でも物腰を変えず、気さくに接することができる懐の広い親分。身近に接したさる独立団体の親分も『裏表がなく、誰にも信用される器量がある』と、手放しの評価でした。東京進出時に敵対する側の組織の相手からも、一目も二目も置かれる度量を示した」
さる関係者がこう語る橋本会長。一時は7000人の陣容を誇るとも言われた三代目山健組出身で、05年に山口組執行部入りして以降は、若頭補佐の筆頭格として髙山清司若頭、入江禎総本部長の相談相手となり、六代目山口組の組織運営を担う実力者として業界に名をとどろかせてきた。
その渡世歴をひもとくと、日本が東京オリンピックへ向け、沸き立っていた63年頃に遡る。
当時は老舗組織が割拠していた大阪の独立組織だった南一家の吉田組・吉田忠義組長と縁を持ち、若衆になったのを手始めに、吉田組解散を機にみずから橋本組を旗揚げ。業界内では「しのぎの少ない地区」と目された東大阪地区を拠点に、ハンデをものともせず手腕を発揮して、勢力を拡大した。
他組織からも注目を集める存在となっていた76年に、山健組盛力会・盛力健児会長(当時)の後押しで、当時、山口組若頭の要職にあった初代山健組・山本健一組長の若衆となった。
山本組長が82年に死去したこともあり、翌年、組の名称を現在の極心連合会に改称。以後、山健組内でめきめきと頭角を現し、4年後の87年には早くも三代目山健組若頭代行に就任。
89年に二代目山健組組長でもあった渡辺芳則五代目体制が発足すると、山健組若頭に就任。銃刀法違反事件で社会不在を余儀なくされた三代目山健組・桑田兼吉組長に代わって大看板を切り盛りし、03年には組長代行に就任。拡大を続ける巨大組織の舵取りを担ってきたのだ。
六代目体制誕生を目前にした05年4月に直系組長に昇格。同年6月、髙山若頭、入江総本部長とともに、山口組執行部の一翼を担う若頭補佐に就任。直参昇格からわずか2カ月後というスピード昇格が大きな話題を呼んだものだ。
関係者が言う。「橋本会長は山健組時代から、武断派と言われ、他組織との抗争でも掛け合いでも〝喧嘩に負けたことがない〟と称されたほど。地元はもちろん、東京進出においても、武力だけでなく外交攻勢でも力量を発揮し、一大勢力を築いた。有数の経済力でも知られ、人材育成にも優れた親分と評判です」
その素顔を知る関係者が続ける。「私生活ではスポーツにたけ、テニスルックで六本木を闊歩するような、全てにおいてスマートで現代的なヤクザでもある。新宿・歌舞伎町をお忍びで歩く姿もさっそうとしていました」 山健組の名が天下に鳴り響いた五代目山口組時代に知己を得たとされる紳助も、大親分の器量と才覚に引き寄せられた有名人の一人だったのか。
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