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北京五輪後の「空白期間」
その新しい泳ぎこそ、再び世界の頂点を目指そうとした時に、彼が必要だとして求め始めたものだ。
08年北京五輪を終え、次の目標が見えなくなった北島は、1年間競技から離れた。そして自分が何をしたいのか見つめ直そうと、09年4月からはアメリカのロサンゼルスを本拠地にした。どこへ行っても注目されてしまう日本とは違い、1人の“北島康介”という人間としていられる環境だったからだ。
それでもプールからは離れられなかった。5月になると家に近くにあったプールで泳ぎ始め。6月からは数多くのメダリストを育てたコーチのデイブ・サロがいる南カリフォルニア大の練習に参加するようになった。だが、その時はまだ、競技に復帰しようという気持ちもなく、ノンビリと泳いでいただけだった。
北島が不在の09年、水泳界は高速水着問題で揺れた。北京五輪で一人勝ちをしたスピード社のレーザーレーサーに対抗して、各社がラバー水着を出してきたからだ。世界記録は次々と更新され、7月にローマで開催された世界選手権は世界記録の大安売りとも言えるような大会になった。実にこの年は男女合わせて全40種目中、35種目で世界記録が塗り替えられたのだ。
北島の100メートルと200メートルの世界記録も、もちろんローマで塗り替えられた。その瞬間をテレビ局のコメンテーターとして見ていた北島は「何か記録が記録じゃないみたいだね」と苦笑していた。08年のレーザーレーサーの時も彼は高速水着に疑問を持っていた。勝つためには着用しなくてはいけないが、水着ばかりが注目されたからだ。
だが、そんな状況に危機感を持った国際水泳連盟は、翌10年からはラバー水着などの高速水着の使用を禁じる決定をした。それが北島の心に火をつけたのだろう。スイマーとしての本当の勝負ができる。100メートル58秒58、200メートル2分07秒31という世界記録に、高速水着なしでどれだけ近づけるだろうか、と。
9月になって復帰を決意した北島は本格的な練習を始め、11月には大会へ復帰した。
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