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記事全文を読む→死んでも「アイツ」に勝ちたかった⑧ 曙 貴乃花と繰り広げた「25勝25敗」の激闘(1)
相撲界のみならず日本国中が空前の若貴フィーバーに沸き返った90年代、先に横綱となった黒船は最大のライバルとして君臨していた。現役時代は口もきかなかった間柄だが、曙はともに時代を作った当時を回想する。
気づいたら横綱になってた
もしも貴乃花さんがいなかったら?
俺もいなかっただろうね。横綱にはなれたかもしれないけど、こんなにすばらしい成績は残してないと思うよ。どんな存在かというと、日本にいるかぎり、曙と貴乃花は「セット」だと思ってます。
貴乃花さんが対戦した中で最強力士だったかって?
いや、それは自分だよ。自分に勝たなきゃ、土俵で相手になんて勝てるわけないよ。
俺は自分のことを大相撲史上最強の力士だったと思っている。
第64代横綱としてのプライドをこう口にする曙太郎(43)が大活躍していたのは、日本列島を若貴フィーバーが覆い尽くし、空前の相撲ブームが巻き起こっていた時代だった。
曙は、若乃花勝(41)=現・虎上=、貴乃花光司(39)と同期入門。昭和63年(1988年)3月場所デビューの力士は「花の六三組」と呼ばれ、計6人(曙、若乃花、貴乃花、魁皇、和歌乃山、力櫻)の幕内力士を輩出している。中でも貴乃花とは、幕内で五分(21勝21敗)の対戦成績。さらに序ノ口からの対戦(優勝決定戦も含む)全てを合計した、全50番も25勝25敗とまったくの互角だった。貴乃花とは真のライバルと言えたのである。
貴乃花さんとの対戦成績は、まるでドラマみたいに作られたような結果だけど、やってる時は対戦成績をあまり意識してないんだよ。もちろん、若貴よりも先に番付を上げたいという気持ちはあったね。
当時はお客さんの声援がみんな若貴に向いていたけど、そんなことは全然関係ないよ。いちいち考えてたら疲れるだけ。自分の相撲を取るだけだったね。
序二段の頃、福岡場所では藤島部屋(当時)と部屋が近かったから、よく出稽古に行って、貴乃花さんと2人で相当やったな。負けても「もう1回お願いします」って、お互い下がらない。延々と「もう1回」で、その繰り返し。1時間ぐらいずっとやっていた。ハッと気づいたら2人しかいないんだから。
稽古量で俺は誰にも負けなかったと思うよ。引退する前の日まで、最低でも30番はしてたからね。
稽古量の多さはうそをつかなかった。93年3月場所、曙は初土俵からわずか5年というスピードで、外国人力士初の横綱に昇進したのである。
気づいたら横綱になってたからね。横綱になった時、俺がトップで、同期生がまだいちばん下の番付にいたから。それぐらいのスピード出世だったんだよ。
若貴と俺がいなかったら、同期の魁皇は、めちゃくちゃスーパースターだよ(笑)。俺ら3人は超スピード出世だったから、目立たなかったけど、(魁皇も)かなりのスピード出世なはずだよ。
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