2009年1月4日、新日本プロレスの東京ドームで、全日本プロレスの武藤敬司から至宝IWGPヘビー級王座を取り戻したことにより、棚橋弘至が新日本の大黒柱だと誰もが認めるようになった。新日本が力を取り戻してきたことでプロレス業界は明るいムードに...
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2007年1月4日の東京ドームにおける両団体の35周年記念大会以降、新日本プロレスと全日本プロレスはそれぞれに新時代構築に向けて活動していたが、08年に再び交わる。事の発端は、同年1.4東京ドームで棚橋弘至からIWGPヘビー級王座を奪取して...
記事全文を読む→新日本プロレスは2008年春の時点で、アントニオ猪木、武藤敬司&蝶野正洋&橋本真也の闘魂三銃士、天山広吉、小島聡、永田裕志、中西学らの第三世代を経て、棚橋弘至と中邑真輔の時代に移行した。一方、武藤敬司率いる全日本プロレスは、武藤が02年10...
記事全文を読む→2007年1月4日の新日本プロレスの東京ドームは、開催が危ぶまれていたものの、全日本プロレスの全面協力で、両団体の35周年記念大会として実現の運びとなった。メインイベントでは武藤敬司と蝶野正洋がコンビを結成して、天山広吉&小島聡のテンコジに...
記事全文を読む→新日本プロレスは2005年11月14日に、ゲームソフトの開発・販売を手掛ける株式会社ユークスに買収されて同社の子会社となり、会社の体制が大きく変わったが、武藤敬司率いる全日本プロレスにとっても05年は変革期だった。武藤は02年2月に全日本の...
記事全文を読む→2005年11月14日、株式会社ユークスに買収されて同社の子会社になった新日本プロレスは、年明け早々に大激震に見舞われた。06年1月10日から始まった契約更改で、退団者が続出したのである。ユークス新体制への不安と疑念、一度は退団した長州力の...
記事全文を読む→2005年2月20日、新日本プロレスの両国国技館大会で実現した、新日本のIWGPヘビー級王者・天山広吉と全日本プロレスの三冠ヘビー級王者・小島聡による、史上初の2大メジャー団体のベルトを懸けたダブルタイトルマッチは、残り時間11秒の59分4...
記事全文を読む→1990年代半ばから続く格闘技ブームの中、2004年1月4日の新日本プロレスの東京ドームは、全日本プロレスの社長兼エースの武藤敬司が2年ぶりに古巣登場、1年2カ月前に退団してWJプロレス旗揚げに参戦するもフリーになった佐々木健介、パンクラス...
記事全文を読む→2003年の日本プロレス界は、全日本プロレス社長の武藤敬司と新日本プロレス現場監督の蝶野正洋のまさかの絶縁によって、全日本&橋本真也率いるZERO‒ONE連合軍と、新日本&三沢光晴率いるプロレスリング・ノア連合軍の2大勢力の戦争になった。し...
記事全文を読む→全日本プロレスの社長に就任した武藤敬司が2002年11月17日に横浜アリーナで開催した「WRESTLE‒1」にZERO‒ONEの社長兼エース・橋本真也が友情出場、新日本プロレスの現場監督・蝶野正洋がフジテレビ中継のゲスト解説を務めたことで「...
記事全文を読む→2002年10月1日、武藤敬司が全日本プロレスの社長に就任したことで、日本プロレス界再編の気運が高まった。当時、新日本プロレスでは蝶野正洋が取締役になって現場監督として手腕を振るい、ZERO‒ONEの社長は橋本真也。かつての闘魂三銃士がそれ...
記事全文を読む→2000年秋にスタートした新日本プロレスVS全日本プロレスは、01年1月28日の東京ドームにおいて開催されたジャイアント馬場三回忌追悼興行「王道新世紀2001」で、対抗戦に初出陣した武藤敬司によって空気が変わった。対抗戦はケンカモードで殺伐...
記事全文を読む→2000年6月の三沢光晴らの大量離脱によって、所属選手が川田利明と渕正信の2人になってしまった全日本プロレス。それでも馬場元子オーナーが看板を下ろさなかったのは「馬場さんの三回忌までは」という意地だった。その後、天龍源一郎の10年ぶりの復帰...
記事全文を読む→新日本プロレスVS全日本プロレスの対抗戦が行われた、2000年10月9日の東京ドームは超満員札止め6万4000人を動員した。メインイベントは佐々木健介VS川田利明。IWGPヘビー級王者であり、夏の「G1クライマックス」に優勝した健介がまさに...
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