新日本プロレスVS全日本プロレスの対抗戦が行われた、2000年10月9日の東京ドームは超満員札止め6万4000人を動員した。メインイベントは佐々木健介VS川田利明。IWGPヘビー級王者であり、夏の「G1クライマックス」に優勝した健介がまさに...
記事全文を読む→川田利明
2000年6月の三沢光晴をはじめとする選手、スタッフ30名の大量離脱で存亡の危機に立たされた全日本プロレスだが、7月1日のディファ有明で予定通りに「サマー・アクション・シリーズ」を開幕させることができた。それでも危機的状況は変わらない。旗揚...
記事全文を読む→2000年6月に勃発した全日本プロレスの分裂騒動。6月16日、三沢光晴は練習生(杉浦貴)、レフェリーのマイティ井上、現場スタッフを含む30人で新団体(プロレスリング・ノア)の設立を発表。その3日後の19日には川田利明と渕正信の2人が神奈川県...
記事全文を読む→2000年6月9日、日本武道館大会終了後、全日本プロレスが2つに割れた。しかし大会自体は普段通りで、不穏なムードはなかった。この日の目玉は世界タッグ王座決定トーナメント。1回戦で三沢&小川良成を撃破した大森隆男&高山善廣のノーフィアーと、ジ...
記事全文を読む→新日本プロレスが日本縦断ドームツアーを成功させた1997年、全日本プロレスは年内ラスト興行となる12月5日の日本武道館でサプライズを仕掛けた。第4試合終了後、電光掲示板にお馴染みの「満員御礼」に続いて「25周年にあたる今年1年へのご声援本当...
記事全文を読む→1990年代、新日本プロレスは他団体との対抗戦によって強さを誇示し、興行的な成功を収めた。中でも95年10月9日、東京ドームにおける武藤敬司と髙田延彦の頂上対決をメインイベントにした、UWFインターナショナルとの全面対抗戦は、今も日本プロレ...
記事全文を読む→「脱サラしてラーメン屋でもやろうかと考えている人に言っておきたい。新しい店が1年に3000軒オープンして、4割が1年以内に潰れる。3年以内に8割が廃業に追いやられているんです」こう語るのは、かつて全日本プロレスで幾多の名勝負を繰り広げた川田...
記事全文を読む→