昭和の歴史に名を刻む音楽プロデューサー・酒井政利さんが7月16日、心不全のため85歳で亡くなった。約350人の歌手を世に送り出し、プロデュース曲の売上げ累計は約8700億円にも上る。特に日本のアイドル第1号と呼ばれた南沙織、今なお現役で活躍...
記事全文を読む→南沙織
1971年6月1日、南沙織が「17才」でデビューした。彼女を日本における「アイドル第1号」と呼ぶ声は多く、これに天地真理・小柳ルミ子が加わって「新三人娘」に、さらに郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎が「新御三家」と呼ばれたことで、それまでの「スタ...
記事全文を読む→昨年亡くなった作曲家・筒美京平は、日本の歌謡史に巨大な功績を残した。72年に「芽ばえ」でデビューした麻丘めぐみ(65)も、優秀な教え子のひとりだ。──4月17日・18日には、東京国際フォーラムで「筒美京平の世界inコンサート」が開催されまし...
記事全文を読む→1971年6月、南沙織が「17才」でデビューし、アイドルという言葉が定着した。それから早くも50年。キラ星のごとく多くの名曲が誕生している。80年代を代表するアイドルといえば、やはり松田聖子だろう。膨大なヒット曲の中でもとりわけ「アイドルソ...
記事全文を読む→戦後の日本を支えたのは、誰もが耳にした歌姫たちのヒット曲である。テレビ時代になって目でも楽しませてくれた歌手たちは今、どうしているのか──。沖縄が日本に返還されたのは、72年のこと。その前年に「17才」でデビューした南沙織(66)は、前祝い...
記事全文を読む→日本で「アイドル第1号」となったのは、沖縄返還を前にした1971年にデビューした南沙織である。発掘した音楽プロデューサー・酒井政利氏が言う。「ライバルの小柳ルミ子が『陸』で天地真理が『空』なら、南に『海』のイメージを持たせることでそれぞれの...
記事全文を読む→テリー結婚を機に一度芸能界を引退したのには、そんな理由もあったんですか。麻丘というより、周りの期待が私にとって荷が重すぎたんですね。私はそこまでの才能もないのに、仕事だけはどんどん決まって、それをこなしていかないといけない。それがつらくて。...
記事全文を読む→ピークが短いのがアイドルの宿命と言えるが、それにしても、あまりにも早いお別れであった。あの可憐な少女たちは今、どうしているのか。みうらじゅんが「青春ノイローゼ」と表現したのは名言である。それほど栗田ひろみ(61)のアイドル時代は愛らしく、映...
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