「やっぱり、やっさん凄いなと…」1960年代から70年代の演芸ブームを牽引した「横山やすし・西川きよし」。横山やすしの爆笑エピソードを振り返ったのは「B&B」の島田洋七である。野球解説者・高橋慶彦氏のYouTubeチャンネル〈よしひこチャン...
記事全文を読む→島田洋七
圧倒的スピード感を武器に、ブームの先兵となったのが「B&B」だ。文字どおり“がばい人気”だった全盛期を、島田洋七(70)が振り返る。──何度か相方を変え、島田洋八とのコンビで「B&B」を結成。その人気が日本中に拡大したのが80年。洋七1月2...
記事全文を読む→「コマネチっ!」「もみじまんじゅう」「おさむちゃんで~す」──今から40年前、1980年4月に始まった「MANZAIブーム」は、お笑い界の勢力図を大きく変えた。過激な毒舌で売った「ツービート」は、ビートたけしの奔放なネタを厳しく監視されたと...
記事全文を読む→7月30日発売の「サンデー毎日」が、吉本興業の、業界への圧力疑惑に関する記事を掲載した。元吉本関係者によると、これまで吉本は、事務所を辞めた芸人に対して圧力をかけて干してきたという。「記事によれば、吉本の圧力で干された芸人の1人が、島田洋七...
記事全文を読む→佐藤愛子篠田桃紅渡辺和子柴田トヨ吉沢久子瀬戸内寂聴……言わずと知れたアラハン・ベストセラーの作家群である。皆さん、90歳オーバー、すなわちアラウンド・ハンドレッド=アラハンで著作を世に問い、ベストセラーとなった。一世紀にもわたる経験から導き...
記事全文を読む→ショーンKさんの経歴詐称問題が世間をにぎわしだした頃、“そんなことより”といった感じで殿は、「経歴詐称っていったら洋七だろ。だいたい、あいつの『がばいばあちゃん』なんてもともといないって噂あるからな」と、実に楽しそうに、「佐賀のがばいばあち...
記事全文を読む→80年代漫才ブームの牽引者である、ツービート・ビートたけしとB&B・島田洋七。出会いから30年以上の月日が流れ、現在、たけしは東京、洋七は佐賀県に住んでいるため、かつてのようなベッタリ親密な関係ではなくなった。ところが、売れっ子時代は夫婦の...
記事全文を読む→たけしは「たかじんnoばぁ~」には96年7月6日放送の最終回にも出演しているが、大阪での飲食やクラブの接待を条件に、いずれもノーギャラで出演したという。番組の中でたかじんは、「『あんたのギャラなんか制作費で無理や』言うてやったわ」と、うそぶ...
記事全文を読む→たかじんがたけしとの共演を実現させることができたのは、悩みを洋七に相談したのがきっかけだった。まだ2人に面識がなかった92年。「たかじんnoばぁ~」のプロデューサーから洋七に連絡があり、洋七にしてみれば名前は知っているが顔はあまり知らなかっ...
記事全文を読む→「関西の視聴率男」の名をほしいままにした、帝王・やしきたかじんは東京など歯牙にもかけないと思われがちだった。しかし、本音は真逆だったようだ。それだけに、東京のトップ・ビートたけしとの交遊はかけがえのない財産だったのである。1月3日にやしきた...
記事全文を読む→1980年代の漫才ブーム。この時、レギュラー番組をテレビ週14本、ラジオ週5本も抱えていた島田洋七(63)は芸能界の頂点にいた。だが、それから4年で、屈辱の日々を送ることになる。──19本あったレギュラー番組が、漫才ブームの終焉とともに次々...
記事全文を読む→