連れ合いの従姉Aさんが小脳と大脳の出血で倒れたのは、昨年3月のことだ。帰宅途中に体調が悪くなったので、必死の思いで自力で救急車を呼び、一命を取り留めることができたが、一時は生命の危機が迫る事態だった。お見舞いに行こうと思っていたのだが、コロ...
記事全文を読む→石原プロ元専務、裕次郎にガン告知しなかった理由
銀幕やテレビのきらびやかな大スター。その裏方にも、やはり軍師は存在した。石原裕次郎、勝新太郎‥‥キラ星を支えたその敏腕とは? 芸能評論家の肥留間正明氏が語る。
*
昭和の大スターといえば、裕ちゃんこと石原裕次郎(享年52)だ。彼が率いた石原軍団、その元専務取締役・小林正彦氏は文字どおり、裕次郎の片腕と言える存在だった。
「小林さん、業界では“コマサ”の愛称で呼ばれていますが、大スターを支える軍師でもあり、プロデューサーでもあり、実務能力抜群の事務方でもあった。石原プロの作品は協賛を50社くらい募るのですが、一つ一つそれを取って回った。これは営業力が優れていたということ。それともう一つ、彼の大方針として、ボス(裕次郎)の貫目をいかに光り輝かせるか、それがある。だから業界内部で絶妙な気配りはしますが、決して媚びは売らないし、いざとなったら一歩も引かない。そしてナンバー2に徹した。だからこそケンカもできたのです」
そんな小林氏は、ある時こんなことを肥留間氏に語ったという。彼の得意分野であったメディア対策についてである。
「人間っていうのは、腹が減ると腹が立ってくるもんだ」
石原軍団といえば、大がかりな炊き出しや餅つき大会を開催するので有名だが、その際、取材陣も入れて文字どおり同じ釜のメシを食うのだ。むろん、個々の範囲でより懇意なつきあいもあったという。
「テレビ時代の芸能界において、メディアとのつきあいに重きを置いた先駆者。実にバランス感覚がすばらしかった」
また、裕次郎の病状が悪化した時のこと。告知すべきという兄・慎太郎氏の意見に真っ向から反対し、最後まで知らせるべきじゃない、という方針を貫いたのも小林氏だった。その理由はこうだ。
「なぜ、渡さんと違って告知しなかったのかという僕の質問に対して彼はこう答えた。『(渡は)助かることがわかっている。でも、(裕次郎は)死ぬのがわかっていた。それなら裕ちゃんには、最後まで“石原裕次郎”でいてもらいたい、好きに生きてほしい』と」
つまりは、利害を越えた強烈な裕次郎愛があってこそである。
アサ芸チョイス
昨年あたりから平成レトロブームを追い風に、空前の「シール」ブームが続いている。かつては子供向け文具の定番だったシールだが、今や「大人が本気で集めるコレクターズアイテム」として存在感を放つ。1980年代から90年代を思わせる配色やモチーフ、ぷ...
記事全文を読む→鉄道などの公共交通機関で通勤する人が、乗車の際に使っている定期券。きっぷを毎回買うよりは当然ながらお得になっているのだが、合法的にもっと安く購入する方法があるのをご存じだろうか。それが「分割定期券」だ。これはA駅からC駅の通勤区間の定期券を...
記事全文を読む→今年も確定申告の季節がやってきた。「面倒だけど、去年と同じやり方で済ませればいい」と考える人は少なくないだろう。しかし、令和7年分(2025年分)の確定申告は、従来の感覚では対応しきれないものになっている。昨年からの税制の見直しにより、内容...
記事全文を読む→
