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記事全文を読む→高橋由伸は夏の甲子園91年・92年神奈川県大会で投打ともに大活躍していた!
1990年代初頭の神奈川県は完全な“2強時代”に突入していた。91年、92年の夏の県予選は2年連続同一カード。桐蔭学園と横浜が激闘を繰り広げ、2年連続で桐蔭学園が勝利した。そして、その中心にいたのが類いまれな野球センスでのちに世代を象徴するスター選手となり、現在は読売ジャイアンツの第18代監督としてチームの指揮を執る高橋由伸であった。
高校時代からその非凡な打撃センスはすでに開花しており、1番には主将の高木大成(元・西武)、4番には副島孔太(元・ヤクルト)などが名を連ねる強力打線にもかかわらず、高橋は高校入学後わずか3カ月で3番を任されるようになっていた。その91年夏の神奈川県大会決勝の横浜戦。高橋は初回から3打席連続ヒットを記録し、そのすべてが得点に結びつく大活躍を見せる。桐蔭学園は4回を終わって11‐2と余裕のリード。終盤に横浜の反撃にあうも、この序盤の大量得点を守り切り、11-7で勝利し、7年ぶりの夏の甲子園出場を決めたのである。
その1年後の92年夏の神奈川県大会決勝。桐蔭学園はふたたび横浜と激突することに。この年から2年生ながら4番に座ることになった高橋は、
「神奈川県を勝ち抜く厳しさを実感し、また甲子園という場所の素晴らしさも体験していたので、1年生の時とはプレッシャーがまったく違っていた」
と語っているが、試合は1回表に高橋の後を打つ5番・副島に3ランが飛び出し、桐蔭学園が先制。だが、横浜もすぐに逆襲し、2回裏に逆転。試合は序盤からめまぐるしい点の取り合いとなり、7回表を終わって8‐8とがっぷりよつの展開となっていた。
そしてここで桐蔭学園ベンチが動く。この年、投手も兼任していた高橋をリリーフとしてマウンドへ送ったのだ。のちに、
「投げるのはイヤだって言ったんです。一度、(土屋恵三郎)監督に投げられないからって言いました」
と振り返った高橋だが、ここをしっかりと抑えて自軍の攻撃のリズムを作っていた。すると直後の8回表。1死一、三塁のチャンスで打席に入った高橋がレフトの頭上を抜くタイムリーを放ち、9‐8と勝ち越し。結局、この回さらに1点を追加した桐蔭学園が10‐8の乱戦を制し、2年連続優勝を果たしたのだった。この試合、打者・高橋は5打数3安打1打点、投手・高橋は3回を投げて被安打1、無失点の好投を見せている。
最後の打者をセンターフライに打ち取った瞬間の安堵の笑みが、何よりも激闘の跡を物語っていた。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=
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