9月に入り、スーパーの鮮魚コーナーや赤ちょうちんの店先に「新サンマ」の文字が並び始め、秋の味覚への期待が高まる季節となった。だが近年は地球温暖化や海水温の上昇などにより、記録的な不漁が常態化。かつての庶民の魚はすっかり「高嶺の花」と化しつつ...
記事全文を読む→二宮清純の「“平成・令和”スポーツ名勝負」〈サヨナラ弾呼んだ“上甲スマイル”〉
「済美 VS 東北」選抜高校野球大会準々決勝・2004年4月2日
長い高校野球の歴史の中で、初出場初優勝を2度も達成した監督は、ひとりしかいない。しかも、別々のチームで。それは1988年春に母校の宇和島東(愛媛)を、そして2004年春に済美(同)を頂点に導いた上甲正典である。
上甲スマイル––。ベンチの中でも外でも、常に笑みを絶やさないことからそんな愛称で親しまれた。
生前、本人に話を聞いた。
「僕の師匠の池西増夫さん(元NHK高校野球解説者)に昔、言われたことがあるんです。『上甲君、とにかく日本のスポーツは悲愴感が漂いがちだが、本来、スポーツは楽しくやるもんじゃないのか。監督があれだけしかめっ面をしていちゃダメだよ』と」
上甲は、はたとヒザを打った。
「確かに、そのとおりだなと。選手がグラウンドで戦っている時、監督ができることと言ったら、彼らが悔いを残さないよう見守ってやることだけなんです。大声を出したところで、あの大歓声の中では、通りませんよ。選手たちを安心させ、力を発揮させるには笑顔しかない」
そんな上甲から笑みが消えそうになった試合がある。04年4月2日、春の甲子園・準々決勝。上甲は2年前に女子高から共学になった済美の指導者に転じて、まだ2年目だった。
相手は、強豪の東北(宮城)。エースのダルビッシュ有を擁し、虎視眈々と甲子園初優勝を狙っていた。
だが、この日、先発のマウンドにダルビッシュの姿はなかった。1回戦の熊本工戦でノーヒットノーランを達成したものの、右肩の調子が思わしくなく、2回戦の大阪桐蔭戦では、7回から2番手の真壁賢守にリリーフを仰いでいた。
その3日後の済美戦、先発を任されたのはサイドハンダーの真壁だった。ダルビッシュはレフトのポジションについた。
真壁は3回に済美の4番・鵜久森淳志の2ランで2点を奪われたものの、6回以降は、ひとりの走者も許さない見事なピッチングで9回裏を迎えた。
スコアは東北の6対2。最後の攻撃を前に、上甲はスマイルを浮かべ、選手たちにこう告げた。
「ようやった。何も言うことはない。ただ、このまま終わってしまったら何も今後につながらない。最後に1点だけ取って、意地を示そうじゃないか」
下位打線の連打で2点を返し、なおもヒットを連ね2死一、二塁。ここで迎えるバッターは3番・高橋勇丞。レフトのダルビッシュは、「7回くらいから行ける準備をしていた」が、最後まで声はかからなかった。
上甲に「ダルビッシュがマウンドに上がることは考えなかったのか?」と問うと、こう答えた。
「実は昨秋の神宮大会で高橋はダルビッシュから2本ヒットを打っている。逆にこのゲーム、高橋は真壁のボールにまるでタイミングが合っていなかった。だから、そのまま続投になるのでは、と思っていた‥‥」
カウント2ストライクナッシングからの5球目、真壁のストレートをとらえた高橋の打球は、レフトスタンドに飛び込んだ。まさかの逆転サヨナラ3ランで7対6。打球を見送る「背番号1」の背中がやけに大きく見えた。
勢いに乗った済美は準決勝で明徳義塾(高知)、決勝で愛工大名電(愛知)をともに1点差で下し、愛媛に紫紺の大旗を持ち帰ったのである。
二宮清純(にのみや・せいじゅん)1960年、愛媛県生まれ。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。最新刊に「森保一の決める技法」。
アサ芸チョイス
地上からは想像もつかない深海で、半世紀前に投棄された「核のゴミ」が静かに朽ち果てている――。米メディア「The Week」電子版が、そんな背筋が寒くなるようなニュースを報じた。フランス沿岸から約1000キロ離れた北東大西洋海域の水深約470...
記事全文を読む→東京都港区で8月に行われた「麻布十番納涼まつり」で、屋台の「冷やし蟹ラーメン」を食べた78人が下痢や嘔吐などの症状を訴え、3人が入院した問題で、新たな衝撃事実が判明した。東京都と港区は発症者31人と従業員2人の便からサルモネラ属菌が検出され...
記事全文を読む→アメリカ・アイダホ州の一部地域では、畑の土を外へ持ち出さないよう、厳しい移動制限が敷かれている。農機具も土を完全に落とさなければ、「発生地域」の外へは出せない。そこまでして封じ込めている相手が、肉眼ではまず見えない「線虫」だ。名前は「ジャガ...
記事全文を読む→

