「野茂英雄 VS イチロー」パ・リーグ公式戦・1993年6月12日
日本人メジャーリーガーの実質上のパイオニアは、1995年にドジャース入りした野茂英雄である。野手は、2001年にマリナーズ入りしたイチローだ。
プロ入りは野茂の方が2年早い。89年のドラフト会議で、史上最多となる8球団が1位指名で競合、新日鉄堺から90年に近鉄に入団した。一方のイチローは、ドラフト4位で、92年に愛工大名電(愛知)から、オリックスに入団した。
プロ入り1年目の90年、18勝8敗、防御率2.91、勝率6割9分2厘、287奪三振で、平成初の投手四冠(最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率)に加え、沢村賞、MVP、新人王など、あらゆる賞を独占した野茂に対し、イチローは3年目にしてレギュラーに定着した。監督が土井正三から仰木彬に代わったのも大きかった。
イチローのプロ入り初本塁打は、野茂から記録している。93年6月12日、舞台は長岡市悠久山球場。イチローがレギュラーに定着する前年である。
当日の模様を、地元紙の新潟日報は、こう伝えている。
〈昨年は雨で中止となったため長岡でのプロ野球公式戦は二年ぶり。球場は一万二千人の観客で満杯となり、久々に見るナマの迫力に沸き返った。
この日の長岡はカラリと晴れ上がった絶好の野球日和となり、当日券を求めるファンが朝から並んだ〉
この日、近鉄の先発・野茂は、オリックス打線を7回表まで0点に抑えていた。近鉄はオリックスの先発・西本聖から6回裏までに5点を取り、野茂の完封に注目が集まっていた。イチローは1番・センターで出場し、ここまで3打数1安打。第4打席は8回表、先頭打者として巡ってきた。
初球だった。真ん中高めストレートを振り抜くと、打球は右中間スタンド最前列に飛び込んだ。
「(記念すべきプロ1号を)野茂さんから打てたのは本当にうれしい」
試合後、イチローは、素直にそう語った。当時の2人の立場の違いがそのコメントには、よく表れていた。
後年、海を渡った野茂に若き日のイチローについて質したことがある。野茂によると、イチローを初めて見たのは92年のジュニア・オールスターゲームで、「いい選手が出てきたなァ」というものだった。
その際、野茂が注目したのは、イチローの「振り切るスイング」だった。
「上から当てに行くのではなく、しっかりと振り切る。まだ体の線は細かったけど、きちんとバットを振り抜いていた。こういうバッティングなら長打が打てるし、力負けすることもない。それでいて足も速いし、魅力的な選手だなァと‥‥」
長岡でのホームランについては、点差もあり、ことさらショックを受けることはなかったという。
イチローにホームランを打たれたこの回、野茂は4番・石嶺和彦に2ランを浴び、さらに2点を追加されたものの、8回を3失点に抑え、勝利投手となる。
なお、悠久山球場のメモリアルコーナーには、イチローのプロ入り初ホームランを記念して、彼のサイン入りバット、グローブ、ユニホームの他に、野茂のサイン入りユニホームも展示されている。
イチローのユニホームの背中には「SUZUKI」の文字。そう、登録名をイチローに変えたのは、翌年からである。
二宮清純(にのみや・せいじゅん)1960年、愛媛県生まれ。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。最新刊に「森保一の決める技法」。