関税問題をはじめ、トランプ大統領が世界中を翻弄している。一時期よりは落ちぶれたとはいえ、現在もまだ世界トップの超大国である米国で、トンデモな人物が最高権力の座に就いたことによって、これまでの国際秩序が破壊されまくっているのだ。これからの世界がどうなるか、私たちの暮らし向きがどうなるかも、トランプがどんなことをやるかで大きく左右される。
そんな状況なので、テレビでも新聞でもネットでも「トランプという人物をどう読むか?」問題で持ち切りだ。もっとも、トランプがいつ何をどこまでやるかなど、誰にもわからない。わかっていたら、それこそ相場投資で丸儲けだが、世の中はもちろんそんなに甘くないのだ。
トランプについて昨年11月の大統領選の頃までは、日本の言論界でも「トランプ推し」の声が散見されたが、その後、どんどん新政権高官にトンデモな側近を登用し、今年1月の新政権発足後も急ピッチでトンデモ政策を進めたことから、今ではトランプを評価する声はほとんど消えた。もっとも、トランプは17~21年の第1期政権でも素人同然の側近を登用して非合理的な政策を進めていたし、20年選挙でバイデンに敗北した際には陰謀論そのものを主張するなどしていたことから、今回の第2期政権が暴走することは十分に予想されていたことだ。
トランプはもともと70年代の大学卒業後に父親の不動産業を継いだ後、80年代に高層ビルや高級ホテル、それにカジノやゴルフ場などの大型投資で成功した若手ビジネスマンだった。当時の彼は、セレブたちが集まるパーティーにしばしば登場して虚栄心丸出しの発言をする“目立ちたがり屋の不動産王”というポジションだった。ちなみに筆者は80年代後半にNYに住んでいたことがあり、日本の週刊誌の仕事のためにゴシップ系タブロイド紙をよく読んでいたのだが、トランプはその常連だった。当時のトランプは政治の話などほとんどしていなかったし、誰も彼が政治家になるなど想像もしていなかった。
ところが、00年大統領選の予備選で突然に名乗りを上げ、米国民を驚かせた。その時は途中で撤退したが、その後、本業の不動産ビジネスの不振と復活、複数回の女性スキャンダルと離婚・再婚、高い視聴率を誇ったリアリティ番組出演などでゴシップ誌面を賑わせた。16年大統領選に再び立候補。当初は低い下馬評ながら予備選・本選を勝ち抜いて大統領まで上り詰めた。本来は政治とは無縁だったビジネスマンが政治家になっていく過程の裏には、実はトランプをこの道に引き入れた男たちがいた。いわば“政治家としてのトランプ”の生みの親たちだ。
まず、若き日のトランプを最初に政界に近づけたのは、冷戦期の右派フィクサーだったロイ・コーンというヤメ検弁護士だった。彼は27年生まれで、戦後の米国で左翼を摘発する検事となり、当時、“赤狩り”を主導した反共有力議員のジョセフ・マッカーシーの片腕として活動した。その後、50年代半ばよりニューヨークで弁護士となるが、顧客にはマフィアのボスなどいわくつきの人物が多かった。そんな中、73年に不動産の不正取引で告発されたトランプの顧問弁護士になる。コーンはこうした弁護士業と並行して、共和党右派の政治家の非公式の顧問をいくつも請け負った。中でも親しかったのが、ニクソンとレーガンだった。
コーンは86年に病没したが、彼が生前に親しくしていたのが、政治コンサルタントのロジャー・ストーンだ。2人はレーガンの大統領選で親しくなり、そのルートでトランプはストーンともつながった。このストーンこそが、事実上の政治家トランプの生みの親だ。
彼は52年生まれと、コーンより25歳も若く、トランプよりも6歳ほど若かった。大学在学中にニクソンの選挙スタッフとなり、そこから政治コンサルタントとして頭角を現す。前出・コーンの紹介でトランプと出会ったのは79年。その後、彼はトランプのカジノ・ビジネスでのアドバイザーを長年務めた。
80年大統領選ではレーガン選対事務所で活動。レーガン政権発足に合わせて、友人のポール・マナフォートと合同でロビー事務所を設立した。その後、レーガンの次にあたるブッシュの大統領選でも活動した。彼はトランプとは年齢も近いので友人のような関係になったが、98年、トランプに政治活動を勧めた。変人の不動産王だったトランプが00年大統領選で政界を目指したのは、ストーンの手引きであり、それから彼はトランプの政界指南役となったのだ。
もともと政治の素人だったトランプは、ストーンに政治活動のすべてを頼った。トランプが現在、政府スタッフよりも、近しい側近に何かと頼る姿勢なのは、もともとそういう背景がある。
ストーンは16年大統領選でもトランプを支えた。最初はトランプ選対の顧問だったが、自身がいくつかのトラブルを抱えており、15年半ばに表向きは選対を離れた。しかし、その後も非公式にトランプ陣営を指揮した。ストーンは同選挙での不適切なロシアとの関係の疑惑、いわゆる“ロシア・ゲート”の当事者だったが、捜査妨害、虚偽陳述、証人改竄などで有罪となり、禁錮刑が言い渡されたが、トランプ政権の働きかけで減刑・恩赦された。その後、ストーン自身は表舞台に立たず、裏から20年と24年の大統領選でもトランプを強力に支援した。現在もトランプ陣営では一定の発言力を持っている。
なお、16年大統領選では、トランプ陣営の選対本部長を一時期、ストーンと共同でロビー会社を立ち上げたこともあるポール・マナフォートが務めた。
マナフォートは49年生まれ。弁護士を経て政治コンサルタントとなり、レーガン以下の歴代の共和党大統領候補者の顧問に就く。彼は外国の政治関連ビジネスのアドバイザーをいくつも請け負っており、ロシアのオリガルヒ(新興財閥)との関係が深かった。彼もロシア・ゲートで容疑者となり、司法妨害や脱税で有罪となるが、やはりトランプが恩赦している。
黒井文太郎くろい・ぶんたろう)1963年福島県生まれ。大学卒業後、講談社、月刊「軍事研究」特約記者、「ワールドインテリジェンス」編集長を経て軍事ジャーナリストに。近著は「工作・謀略の国際政治」(ワニブックス)