「木村敬一」パリ・パラリンピック 競泳男子50m自由形決勝・2024年8月31日
2024年パリ・パラリンピックのメダルは、視覚障がい者でもメダルの種類が判別できるように、側面にラインが掘られてあった。金メダルなら1本、銀メダルなら2本、銅メダルなら3本だ。
点字の考案者はフランス人のルイ・ブライユ。5歳で両目の視力を失ったブライユは盲学校に通っていた15歳の時、6つの点で構成する、いわゆる点字を開発したと言われている。
そのブライユの功績を称えるために、パリのメダルには「Paris」と「2024」の点字が刻印されていた。
パラリンピックの競泳と陸上における視覚障がいのクラス表記は11~13まである。数字が小さいほど障がいは重く、11は全盲者を意味する。アルファベットの「S」は自由形・背泳ぎ・バタフライ。「SB」が平泳ぎで、「SM」が個人メドレーだ。
木村敬一は08年北京大会でパラリンピック初出場を果たして以来、21年東京大会までの4大会で、1つの金メダルと4つの銀メダル、そして3つの銅メダルを獲得していた。
金メダルは東京大会での100メートルバタフライで、木村が最も得意とする種目だった。
そして迎えたパリ大会。8月31日(現地時間)、パリ・ラデファンスアリーナ。日本パラ競泳のエース木村は男子自由形(視覚障がいS11)の決勝に臨んだ。
木村にとって50メートル自由形は、不得意の種目だった。コースロープを探し当てるのに時間がかかり、消化不良のままレースが終わってしまうこともしばしばだった。
健常者なら、コースの真ん中に飛び込み、ロープの位置を把握しながらレースを進めることができる。
しかし全盲の木村の場合、なかなか、そうはいかない。自己ベストを更新するためには、コースロープをガイド代わりにしながらも接触を避け、できるだけ真っすぐ泳ぎ切るしかないのだ。
だが、50メートルはあっという間である。飛び込んだ瞬間に“しまった”と思っても、やり直すことはできない。泳いでいる最中にフォームを修正するのは至難の業だ。木村が50メートル自由形をして「ギャンブル」と呼ぶのは、そのためである。
いつも、いい目が出るとは限らないが、悪い目が出るとも限らないのがギャンブルだ。
電子音が鳴って飛び込んだ瞬間、木村は「今日はいける」と感じた。コースロープの位置を、すぐ確認することができたからだ。
木村の自己ベストは26秒05。予選でのタイムは26秒74。上には26秒04のダビト・クラトフビル(チェコ)、26秒43の華棟棟(中国)、26秒64の楊博尊(同)と3人もいた。
飛び込むや否や、一心不乱に木村は腕を回し、バタ足で水を叩き続けた。
「僕は腕のストローク24回で1度呼吸をし、そこから17回か18回でゴール。この日は41かきでフィニッシュ。タイムは自己記録を0秒07上回る25秒98。他の選手は皆、25秒7とか8という記録を持っていた。僕にとってはラッキーなレースでした」
タッパーから頭を叩かれた瞬間、木村は「早いな」と思った。泳ぎにロスが少なかったため、まだ余力が残っていたのだ。
表彰台で首にかけたメダルの側面には、聞いていたとおり、深くて長い溝が1本刻まれていた。
二宮清純(にのみや・せいじゅん)1960年、愛媛県生まれ。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。最新刊に「森喜朗 スポーツ独白録」。