「日本 VS カーボベルデ」バスケットボール男子W杯・2023年9月2日
カーボベルデという国の存在を、この時初めて知った読者も少なくなかったのではないか。かくいう私もそのひとりである。
何度か耳にしたことはあった。だが、その国がどこにあるかは知らなかった。
カーボベルデはポルトガル語で「緑の岬」を意味する。アフリカ大陸の西、大西洋に浮かぶ島国で、大小10余の島で構成されている。
面積は日本の滋賀県程度。人口は約59.9万人。1975年まではポルトガルの植民地だった。
この大西洋上の小国が、一躍注目を集めたのは、2023年夏に行なわれた24 年パリ五輪のアジア予選も兼ねたバスケットボールの男子W杯である。
23年9月2日、沖縄アリーナ。日本はパリ行きに王手をかけていた。
この試合で最も輝いたのは、この年の2月に米国から帰化したジョシュ・ホーキンソンだった。
シアトル生まれの彼はマリナーズのファンで、高校まではバスケと並行して野球もやっていた。208センチの長身から150キロ近い快速球を投げていたというから、野球でも成功していたかもしれない。
ホーキンソンのエンジンがかかったのは第2クオーター(Q)に入ってからだった。
第2Q開始9秒、ホーキンソンがフリースローを決め、18対19と1点差に詰め寄る。その40秒後、吉井裕鷹が相手DFの注意を引きつけ、ノールックパス。これを受けたホーキンソンが左からシュートを決め、20対19と逆転に成功した。その後も富永啓生が3ポイントシュートを3本も決める活躍で、50対37で前半を終えた。
第3Qでもホーキンソンは躍動した。4分7秒、自陣ゴール下でボールを奪取するや、そのままコートを中央突破し、リングにボールを通した。
こうしたプレーをバスケの本場、米国では「coast to coast」(海岸から海岸へ)と呼ぶ。西海岸のシアトルから東海岸のニューヨークまで走り切ったようなものか。
73対55と18点のリードで迎えた第4Q、日本はカーボベルデの反撃に遭う。逃げ切るに十分かと思われたリードは、5点差にまで詰め寄られた。
6分22秒、日本代表のトム・ホーバスヘッドコーチはタイムアウトを取り、選手たちを「自信持ってトライしろ!」と鼓舞した。
その激に応えたのがホーキンソン。3点差に迫られた残り50秒、ファウルをもらい、態勢を崩されながらもシュートを決めた。フリースローも成功させ、再び6点差をつけた。
残り23秒、ホーキンソンをサポートしたのは、ここでも吉井だった。ドライブで相手DFを引きつけ、ホーキンソンにパス。長い右腕から放たれたシュートがリングを通した瞬間、勝負は決した。
残り10秒、日本が自陣でリバウンドを拾うとカーボベルデは戦意を喪失し、ボールを追いかけるのをやめた。相手のエース、ウォルター・タバレスは歩きながら拍手し、日本を称えた。
この試合の「矛」がホーキンソンなら「盾」は吉井だろう。退場スレスレの4つのファウルと引きかえに日本の大黒柱を守った。
最終スコアは80対71。日本は1976年モントリオール大会以来、48年ぶりに自力で五輪出場を決めた。
ホーキンソンは「チームメイトを誇りに思う」と“相棒”をねぎらった。
二宮清純(にのみや・せいじゅん)1960年、愛媛県生まれ。フリーのスポーツジャーナリストとしてオリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。最新刊に「森喜朗 スポーツ独白録」。