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記事全文を読む→大阪桐蔭が「夏の甲子園第73回大会」で成し遂げていた“最速記録”とは?
この夏の第100回大会を迎えるまで、大阪桐蔭は春3回、夏4回の全国制覇を果たしている。そしてそのうちの6回が2008年の夏以降の優勝なのだ。最初の優勝は、現在の西谷浩一監督時代ではなく、チームを率いていたのは営業マンから転職した長沢和雄だった。1991年第73回夏の選手権のことである。何と創部わずか4年。初出場初優勝の快挙であった。
この年の春の選抜にも初出場し、ベスト8にまで進出していたことから、チーム力は出場各校からも警戒されていた。投の中心となったのは“春の選抜ノーヒットノーラン右腕”和田友貴彦(東洋大ー東芝府中)と大型右腕の背尾伊洋(元・読売など)の2枚看板。打の中心がこの年の高校No.1スラッガーと言われた萩原誠(阪神)だった。初戦は樹徳(群馬)相手に萩原の本塁打など計15安打が飛び出し、11‐3で快勝。好発進したかと思われたが、続く2回戦の秋田との試合でいきなり先発の背尾が1回裏に3失点。これでリズムが狂ったのか、自慢の強力打線は7回表に1点を返すのが精一杯の展開となっていた。4番から始まった9回表の攻撃もすでに2死。2点を追うにはあまりにもムードが悪すぎた。だが、先の春の選抜でも松商学園(長野)戦で最後の打者となっていた沢村通(新日鐵君津)がフルカウントから三塁打を放ち、この重苦しいムードを吹き飛ばす。このあと、中前安打、一塁手の手前で大きく跳ねるラッキーヒット、さらに中前安打と続いてあっという間の同点劇を演じたのである。
このまま延長戦に突入すると、10回裏に2死二塁という一打サヨナラの場面を迎えたが、中前安打で本塁へ突っ込んだ走者をセンターの玉山雅一が本塁へのストライク返球でアウトに。ピンチを脱した大阪桐蔭は続く11回表に沢村が16年ぶり、大会史上3人目となるサイクルヒットを達成させる決勝ソロをはなって4‐3で辛勝したのである。エースの和田は初戦で6回2失点と調子が今ひとつだったが、この試合は7回から登板して5回無失点と完璧なリリーフで立ち直ったのだった。
この苦しい接戦をものにしたことで勢いづいたチームは準々決勝の帝京(東東京)戦を11‐2と圧勝。この試合では3‐2で迎えた6回表の守りでレフト・井上大が相手の大飛球をラッキーゾーンのフェンスによじ登りながらの超スーパーキャッチを見せれば、7回裏には豪快な一発を放つなどの大活躍で、相手の息の根を止めたのだった。
準決勝は2年生4番・松井秀喜(元・読売など)を擁する星稜(石川)相手に背尾が4安打しか許さず、1失点の完投勝ち。打っては4番の萩原がこの大会2号を放ち、7‐1と寄せつけなかった。
迎えた決勝戦の相手は前年夏の準V校で、春夏通じて沖縄県勢悲願の甲子園初優勝を狙う沖縄水産だった。大阪桐蔭は1回裏に2点を先取するも、3回表までに2‐6と試合をひっくり返されてしまう。4回を終わって4‐7というスコアだったが、5回裏に一挙6点を挙げて逆転し、13‐8で勝利したのだった。大阪桐蔭16安打、沖縄水産13安打、両軍で計29安打という激しい打撃戦となったが、大阪桐蔭は萩原がこの大会3本目のアーチをかけ、沢村も4安打6打点と主軸がここぞという場面で活躍したのである。なお、この時の大阪桐蔭の創部4年目での夏の甲子園制覇は選手権史上、今現在も最速記録となっている。
(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=
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