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記事全文を読む→ザ・ベストテン「視聴率40%の伝説」(4)「聖子に用意した母の弁当箱」
70年代とは、各テレビ局に歌番組が割拠していた時代だ。それぞれの特性を生かした番組作りを競ったが、後発に当たる「ザ・ベストテン」だけが社会現象となる視聴率を獲得したのはなぜか? その答えの一つに、斬新でありながら、歌手との信頼を損なわない「演出」があった。
「その飛行機、速度を弱めていただけませんか!」
番組の長い歴史でも、上位に位置するエピソードであろう。松田聖子が2曲目の「青い珊瑚礁」(80年7月)で初めてベストテンに入った80年8月14日のことだ。
8位にランクインした聖子は、9時を少し回ったあたりに羽田空港に到着。タラップを降りた聖子が、エンジンのほうに移動して飛行機を背にして歌う
──そんな一連の流れを生中継で提供するプランだった。
ところが、飛行機が予定より5分早く到着しそうになり、担当ディレクターが航空会社に持ちかけたのが冒頭の言葉だった。公共の輸送機関を前に大胆な提案だが、その熱意が“神風”となったのか、飛行機は定刻に到着し、狙いのままの映像となった。
この場面を身震いしながら見ていた若手ディレクターの遠藤環は、それから5週後に1位となった「青い珊瑚礁」の演出を担当する。感動の場面を倍増させるには、やはり聖子を支えた母親の存在だろうと考えた。
「スタッフに日帰りで福岡へ飛んでもらい、お母さんの手作り弁当を受け取ってUターン。お弁当箱は聖子が小さいころから慣れ親しんだものでした」
聖子には内緒で、黒柳徹子が歌の直前に弁当箱を差し出す。その瞬間、あの有名な「お母さ~ん!」のフレーズが飛び出している。
こうした演出陣と同様に、美術スタッフも短い日数のうちに最高のセットをこしらえる。チーフとして多くの美術デザインを担当した三原康博が言う。
「本番の前の日に、明日は雪が降りそうだって予報が出ていた。そこでふと、オープニングにペンギンを使いたくなってね。司会の久米宏に似せてペンギンに蝶ネクタイを着けさせようって。TBSの屋上からの中継だったけど、反響あったのはうれしかったね」
三原は曲よりも歌詞からヒントを得る。庄野真代の初めてのランクイン曲である「飛んでイスタンブール」(78年4月)では、冒頭のフレーズに注目した。
〈いつか忘れていった こんなジタンの空箱〉
三原の脳裏に「アラジンと魔法のランプ」の映像が浮かんだ。
ジタンというタバコの銘柄を表すロゴが背景にあり、庄野自身は立体の箱の中に入れたらおもしろいだろう。上部からおおった黒い幕が開き、歌の最後には流れ星もまたたく幻想的な演出となった。
この1曲で人気歌手の仲間入りをした庄野は、当時のニューミュージックシーンには珍しく、積極的なテレビ展開をした。
「それまでは『カットされた1分や2分では歌の魅力を伝えられない』というのがテレビを断る常套句だったけど、私は1分、2分で伝えられなかったら3分でも同じという考えでした」
庄野にとって5枚目のシングルであり、作曲に筒美京平を起用した“勝負曲”となった。まず九州や北海道の地方都市から火がつき、発売からジワジワとチャートを上げ、4カ月後の8月3日に9位で初登場を飾る。
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