大型連休を目前に控え、旅行やレジャーの計画に胸を躍らせる時期がやってきた。かつてのゴールデンウィークといえば、家族連れの行楽や帰省ラッシュが風物詩だったが、令和の今はその常識が塗り替えられつつある。近年、若い世代の間で「ソロ活」は一過性のブ...
記事全文を読む→萩本欽一「南田さんの葬儀で心底に染みた長門“兄貴”の不器用すぎる愛情」(2)
廊下の隅に出された三面鏡
おふたりが家を新築した時も遊びに行って、南田さんの女らしさに心を打たれました。
エチケットとして寝室を見るのは遠慮したのですが、「欽ちゃんならいいよ」と、2人が言ってくれたので、ずうずうしく拝見することにしました。
見て驚いたのは、広い部屋なのに南田さんの鏡台が寝室ではなく廊下の隅っこに出してあることでした。
普通は夫婦の寝室って、奥さんの三面鏡がドデーンと部屋の中に置いてあるものです。それが廊下の隅っこに‥‥。
それを見て、僕は南田さんのつつましさに感激しました。
どんなに長い間、一緒にいて遠慮のいらない夫婦でも、夫にお化粧しているところを見せない。そんな心遣いってやっぱり凄いと思います。
でも、控えめで優しい奥さんに対して、長門さんって言いたい放題です。
「オイ! 洋子、コーヒー!」
「ちょっと飲み過ぎよ」
「うるせぇ! 飲むったら飲むんだ! 黙って持って来い!」
長門さんは南田さんより1歳年下なのに威張っていて、優しい言葉をかけるのを聞いたことがありません。
それである時、南田さんが外出している時に、ご自宅で長門さんに尋ねたことがあります。
「長門さん、あんなに気を遣ってくれる洋子さんに、どうしてもっと優しくしてあげないの?」
すると長門さんは「欽ちゃん、オレな、洋子がいないと何もできないんだ。あいつには本当に感謝してるんだよ」。しみじみとした口調でそう語り、亡くなったお父さんの部屋に案内してくれました。
「親父が生きていた頃この部屋は、消毒液のニオイが充満していて、壁は投げつけられた食器なんかで、ボコボコに穴があいていたんだよ‥‥」
長門さんのお父さんの澤村國太郎さんは寝たきりの生活で、南田さんは長門さんと結婚してからお父さんが亡くなる(74年死去)までの13年間、1人でずっと介護を続けていたのです。
お父さんは南田さんに頼りっきりで、お手伝いさんなどを近づけさせなかったそうです。ただ、それでも体が不自由なので、イラだつのか、壁に物を投げつけたりしたのだとか‥‥。
「洋子の手はずっと消毒液のニオイがしててさ、『ああ、オレは洋子をクレゾールのニオイのする女優にしてしまった』って申し訳ない気持ちでいっぱいだった。オレは洋子には生涯頭が上がらないし、感謝してるんだよ」
僕が「じゃあ、優しくしてあげればいいのに」と言うと、「バカ! それとこれとは別だ!」。
南田さんを心の中では大事にしながらも、言葉にはできない。南田さんに甘えっぱなしの、駄々っ子でヤンチャ坊主の長門さんでした。
南田さんが亡くなったのは09年(享年76)で、長門さんもその2年後の11年にあとを追うように亡くなりますが(享年77)、南田さんの葬儀の時の長門さんの姿が今でも忘れられません。
「洋子と最後の写真、撮っていいだろ? 亡くなった人と2人の写真はダメなのかよ? いいだろ? 教えてくれよ、欽ちゃん!」
声を詰まらせ、僕に詰め寄ります。
「洋子とオレの最後を焼き付けておきたいんだ。いいだろ? 早く返事しろよ!」
泣けました。いかに南田さんのことが好きだったか、僕に訴えかける長門さんの悲痛な叫びでした。
アサ芸チョイス
3月から4月にかけて、地方などの首長選で自民党推薦候補が相次いで敗北している。高市内閣が依然として高い支持率を保つのに、だ。PR会社関係者が明かす。「4月12日の東京・練馬区長選では自民などが推薦し、小池百合子都知事も支援した前都議が圧勝す...
記事全文を読む→まさに「泣きっ面に蜂」である。ほかでもない、「後発地震」と「山林火災」と「クマ出没」という、未曽有の「三重苦」に見舞われている岩手県大槌町の被害実態だ。町民の心胆を寒からしめているコトの次第を、時系列に沿って追ってみると…。三陸のリアス式海...
記事全文を読む→中国で今、国防の要となるエリート科学者たちが、まるで示し合わせたかのように次々と謎の死を遂げている。公表されているだけでも、その数は9人。死亡者の年齢は26歳から68歳までと広いが、中国メディアやSNSでは「深夜の交通事故」など、その死亡原...
記事全文を読む→
