もう真夏の外出は、根性で乗り切る時代ではないらしい。気象庁は今年、最高気温40度以上の日を「酷暑日」と新たに決めた。猛暑日を超える暑さが日常化したことで、服そのものが冷却機器になる流れも加速している。これまでのファン付きウェアは「現場作業用...
記事全文を読む→歴代総理の胆力「竹下登」(2)“落とすところに落とす”腕力
その頃の竹下の“辛抱強さ”以外の評判は、調整のうえで物事を“落とすところに落とす”術にたけていたことから「調整名人」との評判が高かった。そのうえで、事を決して強引に運ばず、自己宣伝一切なしで前に出ることをせず、周囲への気配り、目配りをよくした。また、人を怒らせずのガマンぶりから、当時のNHK朝ドラで視聴者の紅涙(こうるい)をしぼったヒロイン「おしん」になぞらえ、「政界のおしん」との異名もまたあったのだった。
竹下自身は、そうした自らのリーダーシップに触れ、次のような語録を残している。
「直進せず、説得しつつ推進し、推進しつつ説得するといったところだろうか。人を怒らず、汗は自分で手柄は人に、すべからくおのが力と思うなよという気持ちでやってきた。まあ、辛抱、辛抱、また辛抱ということだわね」
「私のことを『調整名人』なんて言う人がいるが、調整のコツなんて、とりたててありはしないわな。ただ一つあるとすれば、上から物を言わないことを心掛けてきた。相手の言い分、立場まで、自分で譲ったり、下りていくことを心掛けたということです。また、逆に相手を自分の立場まで引き上げてやることもある。一言で言えば、相手と同じ目線、立場で話し合うということかな。大体、これでうまくいった」
ちなみに“苦節23年”、天下を手にした直後には、次のように口にしたものだった。
「私はこれまでコンセンサス主義と言われてきたが、今後も皆さんの意見に耳を傾ける姿勢を続ける。見極めがつけば、私自身が決断し、誠実な実行で応えたい」
こうした竹下のリーダーシップの手法は、「政治の師」佐藤栄作から伝授された言葉を踏襲した形になっている。佐藤はまだ陣笠議員だった竹下に、こう言ったのだった。
「人間は口は一つ、耳は二つだ。まず、ひとの話を聞け。人間関係をうまくやるコツだ」
そうした手法を具現化したのが、それまで数代の政権が国民の反発から成し得なかった、「消費税」導入という大仕事であった。じつは、政権からさかのぼること8年前、竹下はこの大仕事を“落とすところに落とす”覚悟を固めていたものだった。
■竹下登の略歴
大正13(1924)年2月16日、島根県生まれ。学徒動員により陸軍飛行隊員として入隊。早稲田大学商学部に復学。昭和33(1958)年、衆議院議員初当選。昭和62(1987)年11月、内閣組織。総理就任時63歳。平成12(2000)年6月19日、76歳で死去。
総理大臣歴:第74代 1987年11月6日~1989年6月3日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。
アサ芸チョイス
ドジャース・大谷翔平の第二子誕生をめぐって、フェミニストを名乗る女性たちがSNS上で「多産DVだ」「年子出産は女性虐待だ」と騒いでいる。大谷夫妻は昨年4月20日に第一子誕生を報告、この6月20日に第二子誕生をアナウンスした。これら誹謗中傷コ...
記事全文を読む→一発出たら同点。3-7と4点をリードされて迎えた7回裏、二死満塁の場面。この日いちばんの勝負どころで、広島・新井貴浩監督がベンチから送り出した代打は捕手・石原貴規だった。結果は空振り三振。最大の山場でなぜ、より長打を見込める打者を送り込まな...
記事全文を読む→これはトレードのショーケースなのだろうか。そう思ってしまったのは、阪神タイガースの梅野隆太郎捕手が2軍から再昇格し、6月23日のヤクルト戦に即スタメン出場して攻守に高い能力を見せつけたことだ。1-0とリードした5回に二塁打を放ってチャンスメ...
記事全文を読む→

