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記事全文を読む→“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第2回>チューリップ(2)
73年に「コーヒーショップで」でデビューしたあべ静江は、山口百恵や桜田淳子、アグネス・チャンと同年の新人賞を争った。百恵がホリプロ、淳子がサンミュージック、アグネスが渡辺プロと“王道”であるのに対し、あべは「シンコーミュージック」という音楽系の事務所に籍を置く。
「私自身が『ザ・芸能界』というムードが苦手で、いくつかお話をいただいた中から、ここが一番、しっくりくると思いました」
あべより1年早い72年にチューリップがデビューし、74年には甲斐バンドが世に出た。美人アイドルが男ばかりのバンドに囲まれた形だが、息苦しさはなかったと言う。むしろ「家族」のように過ごしていた。
「例えば大阪の仕事が同じ日にあったら、同じロイヤルホテルに泊まらされるんです。その日の仕事が終わったら『ただいま』と帰ってくるような感じでした」
さらにオフの海外旅行も定期的に事務所単位でという豪胆さだった。多忙な芸能界にあってもオフをきちんと与え、また所属タレントが全員一緒なら事務所の目が届くという利点もあったようだ。
「ロス、ロンドン、パリ、エジプトと行きましたね。同じ旅をするとわかるんですが、女の私よりもチューリップのほうがよっぽど繊細。特に財津和夫は、顔を洗うのも歯を磨くのもミネラルウォーターのエビアンを使っていました」
あまりにバンドとの距離が近すぎて、一切、恋愛の対象にはならなかった。ただ、思いがけない形で「見守られている」ことを実感する。それはあべが失恋をした直後のことだった。
「財津さんが私のマンションに来たんですよ。まだ私はさめざめと泣いている状態で、失礼な人ねと思ったけど‥‥」
財津はぶっきらぼうに「お腹すいた」と言う。あべが冷蔵庫からあり合わせの食材で料理を作ると、財津は不遜にも「イヤだ」とゴネる。そして──、
「しーちゃん、泣いているのはいいけど、3日間だけ許す。でも、それ以上になったら好かんたいね」
その言葉にあべは、ハッと目が覚める自分を感じた。恋人との別離から立ち直れたのは、財津の一言にほかならなかったのだ。
こうした家族的な仲だけでなく、アーティストとしての財津にも多くの曲を提供してもらっている。特に「私は小鳥」(75年9月)は名曲の誉れ高い。
「もともとチューリップがライブで歌っていましたが、この曲は私のほうが合うんじゃないかと思いまして。それで財津さんにOKをもらって、レコーディングではチューリップがバックの演奏もやってくれたんです」
エンディングのコーラスの部分は、ギターとユニゾンで高いキーになるのだが、ギタリストの安部俊幸が予定より1小節多く弾いてしまった。そのため、息継ぎのタイミングが大変だったとあべは苦笑する。
もともとはチューリップのオリジナルでありながら、あべに書き下ろしたと財津が混同したのは、それだけ完成度の高いカバーになった証拠だ。
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