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新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「81年末の衝撃!ハンセンが全日本に電撃乱入」

 新日本プロレスがアブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー戸口、ディック・マードックを引き抜けば、全日本プロレスはタイガー・ジェット・シン、上田馬之助、チャボ・ゲレロ、アニバルを引き抜き、1981年はかつてない企業戦争が繰り広げられたが、クライマックスは全日本の年間最終戦の12月13日、蔵前国技館での「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦だった。

 3日前の12月10日まで新日本の「第2回MSGタッグ・リーグ戦」に参加していたスタン・ハンセンがドリー&テリーのファンクスと戦うブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカのセコンドとして登場、場外でテリー・ファンクにウェスタン・ラリアットを見舞ってブロディ組の優勝に一役買ったのだ。

 試合後にはジャイアント馬場がリングに躍り込んでハンセンと乱闘、翌82年にハンセンが全日本を戦場にすることが明らかになった瞬間だった。全日本は結果的にシン、ハンセンという新日本の看板外国人選手2人を引き抜いたのである。

 実は、このハンセンの電撃移籍は半年前から決まっていた。5月8日にブッチャーを引き抜かれた馬場は7月3日には報復としてシンを全日本のリングに上げたが、それ以前にハンセンをすでに獲得していた。馬場がシンとカナダのトロントで契約したのは6月18日だが、ハンセンを口説くのに成功したのはその3日前の6月15日のテキサス州ダラス。つまり馬場はハンセンを口説いた後にシンと会っていたのだ。

 ハンセン引き抜きに動いたのは、ハンセンをプロレスにスカウトしたテリー・ファンク。テリーはハンセンにとってウェスト・テキサス大学の先輩であり、プロレス界では恩人だった。

「私は新日本、テリーは全日本で働いていたが、たまたま同時期に日本に来た時にはプライベートで食事をしたり、酒を飲んだりする仲だった。だから、いきなりテリーから電話がかかってきても驚きはしなかったよ」とハンセンは言う。

 6月15日、ダラス・フォートワース国際空港に隣接するホテルの一室で馬場、ハンセン、テリー、日本テレビの原章プロデューサーの4人によるミーティングが行われ、新日本との契約が残っている12月シリーズまでのスケジュールを消化した上で、全日本の最終戦に来るということで合意。そして、試合をしなくても日本テレビの全日本中継に映れば違約金が発生するため、12月13日に全日本の蔵前に来る前に違約金を払うという筋書きだった。

 この席でハンセンは馬場に「今まで新日本でやってきて、そこで出来上がったスタイルを変えるつもりはないが、それでもOKなのか?」と尋ね、馬場は「私もそれを望んでいる。ぜひそうしてほしい」と返答。馬場は全日本に新日本的な要素を取り込むことを考えていたのである。

 ハンセンはその後、6月24日の両国でブッチャーとタッグを結成してアントニオ猪木&谷津嘉章と戦ったり、9月23日の田園コロシアムではアンドレ・ザ・ジャイアントとスーパーヘビー級の名勝負を演じて、新日本のトップ外国人として輝きを見せたが、その時点で全日本への移籍が決定していたと思うと、馬場の作戦は見事と言うほかない。

 ハンセンはウェスト・テキサス大学の先輩であり、かつてルイジアナ地区でタッグを組んでいたブルーザー・ブロディが移籍をどう思うかを気にかけていた。

 11月から12月にかけてハンセンは新日本、ブロディは全日本に参加。11月30日に新日本は岡崎市体育館、全日本は愛知県体育館で試合があり、どちらも宿舎は名古屋というタイミングでハンセンはブロディとコンタクトを取って全日本移籍を打ち明けた。

「打ち明けると、彼は了承してくれた。だが、馬場や全日本のオフィスから何も説明がないことが気に食わなくてナーバスになっていた。もちろん全日本は彼をトップガイとしてプッシュしていたが、ブッチャーが新日本に来た時、何も説明を受けていなかった私が傷つけられたように、フランク(ブロディの本名=フランク・グーディッシュ)も同じ思いを抱いていたんだとわかった」(ハンセン)

 ハンセンは12月10日に大阪で新日本のスケジュールを全て終えた後、12日の全日本の横須賀大会に来場してマスコミを驚かせた。

 控室でブロディと密談すると「今日は久々にフランクと話がしたくて来ただけだから、大騒ぎしないでくれ。明日にはアメリカに帰る」とコメント。試合を終えたブロディ、スヌーカと一緒の車で会場をあとにした。向かった先は馬場夫妻、ファンクスが待つ高輪東武ホテルだ。ここでミーティングが持たれ、ブロディもスヌーカもハンセンの移籍の説明を受けて了承。そして蔵前当日を迎えた。

 テーブル上のビジネスは前日まで。ハンセンは恩師テリーを容赦なく場外でKOすると、馬場に宣戦布告した。ハンセンのターゲットは猪木から馬場になったのである。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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