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それでも翌日の福岡公演は予定どおりに行われ、7日の小倉でのコンサートが、ひばりの最後のステージとなった。
楽屋にはベッドや酸素吸入器が持ち込まれ、緊急手術ができるよう、医師も待機していた。華やかな表舞台とは打って変わり、バックステージは修羅場と化していた。
この小倉公演のあと、ひばりは和也氏から引退を勧められる。
〈和也から初めて「ママ、引退したら? 命が大事だから」と。でも、私はそれに激怒してしまった〉
ひばりは日記にこう書いているが、そこにはこんな思いが投影されていた。
「和也を男にするためにも、はってでも舞台に出たい」
この年の4月、横浜アリーナで開かれるコンサートで、和也氏がプロデューサーとしてデビューすることになっていたのだ。
祈るような気持ちでひばりは奮起したが、公演は中止を余儀なくされた。
不死鳥の翼は折れたまま、89年3月15日、東京・順天堂大学医学部付属病院に緊急入院となる。これを機に全ての仕事をストップするが、皮肉にもこの時から、ようやく母と息子が互いを見つめる時間が流れ始めたのだ。
「ずっと50年近く走り続けてきた人が初めて味わった強制的な休息でした。しかし、確たる治療法がない。そんな不安な闘病生活の中で、おふくろは絵筆を取るようになった。それまで歌と酒しか趣味がなかったような人がね。花や少女など、29枚の絵を残しました」
和也氏は毎日病室を訪ねては、たわいのない会話に興じて母を励ました。だが入院から1カ月半が過ぎた5月初め、日記にはこんな文字がにじむようになる。
〈あれだけ好きだった歌が、最近は苦痛になってきました。(中略)恐らく、二度とファンの前で歌うことはないでしょう〉
歌に対して意欲を燃やし続けたひばりが、初めて見せた絶望の言葉だった。病床では付き人にこう漏らすこともあった。
「みんな、もう私のことを見捨てたんでしょう!」
「女王」と言われた人の苦悩と孤独が伝わってくる。
亡くなる1カ月ほど前のことだった。その日も病室を訪ねた和也氏が帰ろうとすると、ひばりは静かな口ぶりで言った。
「もしママがいなくなったら、カーくん(和也氏)どうするの?」
それは和也氏がまだ小さい頃からの口癖だった。
「たぶん、どのくらい自分が愛されているかを試そうとしたんでしょうけど、僕はそれが大嫌いだった」
和也氏はこう振り返ったが、次の日もひばりは同じようなことを繰り返した。
「弱気になるおふくろなんか見たくないじゃないですか。ふざけんなって腹が立ってくるんですよ。だから『そんなことばかり言って、このクソババア、ずっと寝ていろォ!』って思わず叫んじゃいましたよ」
すると母は力を振りしぼるように、こう応酬したという。
「あーら、あんた、誰に向かって口きいてるのかしら」
「クソババア」と言葉は辛辣だが、そこには誰も入り込むことのできない母と息子の確かな絆があった。
「いや、ひどいこと言ったと思います。でも逆に元気になったんですよ」
和也氏の脳裏には、あの日の場面が今も鮮やかに焼き付いている。
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