今季もサイ・ヤング賞投手のDeNAトレバー・バウアーなど、数多くの外国人選手が来日した。これまでどれだけの人数の外国人選手が日本でプレーしたのか、分からない。だが「ミミズの踊り食い」というショッキングな行動で、球界をお笑いの渦に巻き込んだ選手がいる。1993年に野村ヤクルトでプレーした、レックス・ハドラーだ。
ハドラーは1978年のメジャーリーグドラフト1巡目、全体18位で名門ヤンキースから指名されて、プロ入り。その後、オリオールズ、エクスポズ(現ナショナルズ)、カージナルスと渡り歩き、入団テストを受けてヤクルトの一員になった内野手である。
守備力を期待されながら、開幕からエラーを連発。だが打撃では「恐怖の8番打者」と呼ばれ、打率3割、得点圏打率はセ・リーグ1位、シーズン2回のサヨナラ打を放つ勝負強さを発揮して、野村ヤクルトの日本一に貢献している。
だが、ハドラーを一躍有名にしたのは、ゲテモノ食いだった。入団時には「俺はセミやカタツムリ、ワニも食べた経験がある」と豪語し、ナインから疑心暗鬼の目を向けられていたが、その発言を証明するため、実際にとんでもないワザを実践したのである。
コトの発端は当時、同じヤクルトでプレーしていたジャック・ハウエルのひと言だった。ハウエルが練習グラウンドの地面にいたミミズを見つけると、チームメートを集めて「ハドラーがミミズを食べるよ。彼が食べたら、いくら払う?」と呼びかけたのだ。
誰もが無理だと思ったに違いない。ところがハドラーは、生きたままのミミズをパクリ。その後、平然と腕立て伏せまでやってみせたものだから、ナインからは悲鳴とも絶叫とも言えない驚きの声が湧き起こったのである。
この声を聞きつけたマスコミ各社の記者、カメラマンがハドラーに殺到。翌朝のスポーツ紙では1面で扱う社もあった。その見出しは「クレイジーなアメリカ人がミミズを食べた」というもの。当時のヤクルトを扱う1面といえば、野村克也監督や広沢克実、池山隆寛、古田敦也の指定席。この頃は高津臣吾(現監督)でも、1面で扱われたことはない。それを「ミミズの踊り食い」で勝ち取ったハドラーはある意味、偉大な助っ人だった。
(阿部勝彦)