政治
Posted on 2025年08月18日 06:00

前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~日米関税交渉「合意文書無し」の怪~

2025年08月18日 06:00

 日米関税交渉の是非についての議論が引きも切らない。妥結当初は安堵感を覚えていた向きでさえ、合意文書がないという前代未聞の説明に接し、不安を露にしている。もっともな指摘だ。長年、貿易交渉やその際の文書作りに砕身してきた身として、実務の実態を紹介しておきたい。

 主権国家同士で交渉をして合意に達した場合、それをどうやって文書で確認するかについては、大まかに言って三つの方法がある。

 第一は、条約や協定の形にまとめることだ。法令用語で「国際約束」と称している。国際法上の法的拘束力を有する文書であり、締結した国家間で権利義務関係を生じさせるものだ。言い換えれば、仮に合意事項に反する事態が発生した場合には、相手国は国際法違反だとして国際司法裁判所等に訴えを提起して国家責任を問うことができる。合意文書として一番重いものになる。

 第二は、意図表明文書という形の文書にまとめることだ。相手方に対して自国による一定の措置の実施を法的に約束するまでには至らないものの、実施の意図を表明しておくものだ。主権国家として独自に取るべき措置、相手国に言われたからやるという性格の措置ではない場合にふさわしい。1980年代末から90年代にかけて日米間で行われた構造協議の結果はこうした形で「報告」としてまとめられた。共同声明という形をとることも多い。

 以上は、両政府間で文言を子細に協議して共同文書を作成するものだが、第三に、それぞれが勝手に国内説明用文書を作るやり方もある。ファクト・シートと呼ばれるものが典型例で、今回米政府がとった方式だ。ただし、そうであっても、互いの説明に齟齬をきたさないよう、あらかじめ内容を相互にチェックしておくのが常道だ。

 今回のやり方を見ると、上記の第三の方法をとったようだが、トランプ大統領、べセント財務長官、ラトニック商務長官といった米側の説明の内容を事前にチェックしていた形跡がうかがえない。赤沢大臣は関税引下げが優先事項であり、合意文書を作る暇など無かったという趣旨の弁明をしているが、事の重大性に照らし、あまりにも責任感と説得力に欠ける。早速ほころびが生じ、ワシントンに再度飛んで行かざるを得なかったのは見苦しい限りだ。

 実際、同様の関税交渉を行った米英間では協定が作成されているし、米EU間では共同声明が作成中と報じられている。外務省国際法局を始めとする霞が関の俊秀達が文書一枚作れないわけがない。一体誰がこんな判断をしたのか?

 日本側として文書で確認しておくべき重要事項は、幾つもあった。

 相互関税について米側は「15%上乗せ」と理解していたなどという爾後の展開は、合意文書があれば防げたはずだ。まさに15%で「ピン止め」し、べセントが述べた「大統領の判断で25%に引き上げる」ことがないようにしなければ企業が望む安定性は確保できない。自動車関税引き下げが実施されていないのも憂慮の的だ。まさに15%で「ピン止め」し、べセントが述べた「大統領の判断で25%に引き上げる」ことがないようにしなければ企業が望む安定性は確保できない。

 そもそも、WTOルールで認められていた米国の自動車関税は2.5%だ。アメリカが勝手に引き上げた国際法違反の片棒を日本が担ぐわけにはいかない。貿易赤字縮小のための時限的措置であるとの一札を入れておくのは当然だろう。さもないと、トランプ政権後も高関税は定着してしまう。

 こうした事情にもかかわらず合意文書を作らなかったとすれば、日本側に文書にしたくない理由があったと勘ぐらざるを得ない。ずばり、投資ではないか?米国のサプライチェ-ン強靭化のために日本が米国の指示に従って80兆円もの巨額の投融資をし、利益の9割は米国のものと説明された。

 だとすれば、国会を始め、日本国内でその是非を大いに論じなければなるまい。

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961・年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年・外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年・ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年・茨城県警本部警務部長を経て、09年・在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年・国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年・駐豪大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)、「媚中 その驚愕の『真実』」(ワック)等がある。

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