例えば、こんな場面を想像してほしい。休日の昼下がり、渋滞を避けようと、カーナビが案内した田畑の間の脇道へ入る。一般に使われている道で、車同士がすれ違える程度の幅はある。だが速度を指定する標識や標示、中央線、車両通行帯はなく、中央分離帯や柵も...
記事全文を読む→「家に怖い人が来て…」サッカー元日本代表・太田宏介が告白したプロ入り前の「極貧生活」
今シーズン限りでの引退を発表したサッカー元日本代表の太田宏介氏が、同じく元日本代表・鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルに出演し、プロサッカー選手になるまでの人生を振り返った。元日本代表ともなればプロ入り前からの華々しい生活が想像されるが、太田氏の場合は真逆だったという。
父親が単身赴任していたため、太田氏は子供の頃から母親と兄との3人暮らしで、中学3年生時に両親が離婚。貧困生活は中学1年の頃から始まっていた。
「中1の時にずっと住んでいた家を出ることになった。いつも家の前に怖い人が来る。借金取りなんですけど。お母さんも日に日に元気がなくなってきて、ある日、ボストンバッグを2つ持って家を出た。新たな家は古いアパートで、小さいちゃぶ台を3人で囲んでご飯を食べて、そのちゃぶ台をしまって布団を敷いて寝る。引っ越したその日に『1日でも早くここを出よう』って」
と当時を振り返った太田氏。スパイクが壊れても買ってほしいと母親に言うことができず、つま先が開いてポイントがすり減ってもガムテープを巻いて使い続け、「お母さんには大丈夫、これでもサッカーやれるから。うまくなれるよと言っていた」という。
高校進学時、サッカーを続けるためにJリーグのユースチームを目指したが合格できず、名門私立高校は学費の問題で諦めるしかなかったが、友人の小林悠(川崎フロンターレ)の母親に誘われ特待生として麻布大附属渕野辺高校(現・麻布大附属高校)に進学。この時、生活を支えてくれたのは兄だった。
「遠征費やサッカー用品にかかるお金は兄貴が朝昼晩とバイトして出してくれたので、ぎりぎりサッカーを続けることができた。高校生の時に色んな人に支えられてサッカーができているということを理解していたので、本当に頑張らなきゃいけないという思いで取り組んでいた」
と太田氏。プロになり日本代表として活躍できたのは、学生時代に培ったハングリー精神があったからに違いない。
(鈴木誠)
アサ芸チョイス
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