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記事全文を読む→25歳で早逝した伝説の吉原遊女の精霊が「年中行事」になった「人望と飲みっぷり」
死んでもなお一大イベントとして名を残した、伝説の遊女がいる。豪快な飲みっぷりで有名だったその人物が「角町中万字屋勘兵衛」お抱の玉菊である。
享保11年(1726年)生まれの玉菊は茶の湯、生け花、俳諧、琴曲などに精通し、河東節の三味線と拳の妙手といわれる、才色兼備の遊女だった。河東節は浄瑠璃の一種で、拳は現代のじゃんけんの元になったとされる遊びだ。その姿は歌川豊国の浮世絵にも描かれている。
10歳前後で吉原に売られてきた玉菊は17歳の頃に遊女になったが、人柄は気さくで気前が良かった。そのため客や同僚の遊女だけでなく、妓楼で働く雇い人にも慕われた。
パトロンは江戸の大材木商、5代目奈良屋茂左衛門だったため、玉菊はぜいたく三昧の暮らしを送った。玉菊に貢いだ奈良屋は、この5代目で家産を使い果たしたという。
浮世絵に杯を手にした姿が描かれるほど豪快な飲みっぷりで知られたが、これが命取りになった。大の酒好きがたたって体を壊し、わずか25歳でこの世を去ったのだ。
これを惜しみ、人々は亡くなった年の新盆、盂蘭(うら)盆では、吉原中の各見世が軒下に燈籠を掲げて玉菊の精霊を祀った。これは「玉菊燈籠」と呼ばれるようになり、翌年以降は7月いっぱい吉原で行われる年中行事になった。
この期間は通行手形こそ必要だったが、女人禁制の吉原に女性も入ることができたため「玉菊燈籠」は「三月の仲之町桜」「八月の俄(にわか)」と並び、吉原三景容のひとつとなった。
享保13年の三回忌には、二代目十寸見蘭洲が「水調子」という河東節をかたる追善供養が行われた。それ以降、玉菊にいた「角町中万字屋勘兵衛」でこの曲をひくと玉菊の霊が出現する、と伝えられた。
百回忌の追善集には酒井抱一が序文を書き、1926年(大正15年)の二百回忌には、歌舞伎座で中村歌右衛門が玉菊を演じている。
玉菊が使用したとされる三味線は受け継がれ、近代では俳人・岡野知十、河東節の山彦文子、荻江節宗家で前田青邨夫人の荻江露友の手を経て、現在に至っている。なお、玉菊の墓は東京・台東区の永見寺にある。
(道嶋慶)
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