芸能

吉田照美 文化放送の先輩みのもんたをネタにして大騒動に/俺たちが愛したラジオ

 1974年に文化放送に入社し、ラジオを主戦場に活躍してきた吉田照美(74)。世間を騒がせた〝大事件〟や恩人とのエピソードまで、半世紀以上にわたるマイク生活を振り返った。

 3月1日、フリーアナウンサーのみのもんた(享年80)が亡くなった。吉田にインタビューしたのは訃報から3日後のことだった。

「文化放送の採用試験で、音声テストの試験官を務めてくださったのが7年先輩のみのさん。『吉田君、君は〝ラ行〟が弱いね』と言われた時には『落ちたかな』と思ったんですけど、何とか最終面接まで進んで合格できました。入社した時、すでにみのさんは『セイ!ヤング』で顔も名前も売れていましたから、迫力が違いましたよ。ああいう裏表がない人でないとアナウンサーは務まらないのかって、そばで見ていて思いましたね」

 みのにまつわる豪放磊落なエピソードがある。吉田が新人アナウンサーだった頃、アナウンス室にいたみのが、電話で夕飯について何やらリクエストを伝えたのだが、それを聞いた吉田は「奥様への電話」と勘違いしてしまい、これが大騒動に発展してしまう。

「みのさんは当時、『みのもんたのワイドNo1』という夜の帯番組を担当。そして僕は生放送が始まる前の30秒を埋める〝ステーションブレーク〟を担当していて、そこでみのさんのことをネタにしてしまったんです。『この後に登場するみのさんが、先ほど電話で夕飯のメニューを奥様と相談してまして、愛妻家なんですね』ってしゃべったら、その後、CMの合間にみのさんが僕のいる第3スタジオに飛んできて、『バカ野郎! 電話してたのは女房じゃないんだよ!』って。その頃から芸風はまったく変わってませんでした」

 そんな吉田は高校時代から内向的な性格で、大学受験に失敗した後は〝最悪の1年間〟を過ごすことに。

「対人恐怖症って言うと大げさかもしれないけど、ある一人の友人を除いて、ほとんど人と会いませんでした。その後、早稲田大学に入学してアナウンス研究会に入ったのは、銀行員になるにしろ、普通の会社員になるにしろ、せめて人前で最低限しゃべれる人間になりたかったから。でも、1年生の夏合宿で大きな挫折を味わいました。アナウンスコンテストで2分間のフリートークを割り当てられたのですが、ガチガチに緊張してまったくしゃべることができなくて退場も許されない。まるで〝公開処刑〟でしたよ」

 吉田はそこから一念発起。みずからアナウンスの専門学校に通い、技術を高めていく。

「アルバイト代を全部つぎ込みました。基礎科から研究科とアナウンスを学んでいく過程で、アナウンサーの立場からラジオを聴くようになったんです。そこで出会ったのが、小島一慶さん(故人)の『パック・イン・ミュージック』(TBSラジオ)。この1週間で楽しかったことや感動したことについてアレコレしゃべってくれるんですけど、ある時なんて、不治の病で亡くなった女の子から届いた手紙を泣きながら読んだりしてね。これに衝撃を受けて『自分もこういう放送をやってみたい』って思ったのが大学2年生の時。まさかラジオ局に受かるとは思わなかったけどね。一慶さんがいなかったらアナウンサーになっていなかったでしょうね」

 吉田が深夜ラジオ「セイ!ヤング」のパーソナリティーに抜擢されたのは78年。入社5年目だった。

「深夜放送がやりたくてラジオ局に入ったものの、『やりたいです』とは一度も言ったことはなかった。表回りと言って、外に出てインタビューとかバカなことばっかりやってたから、『あいつにやらせてみよう』ってなったんだと思いますよ。でも、自分が担当する水曜日の深夜は〝表〟でタモリさんが『オールナイトニッポン』をやっていましたから。勝ち目がないなら、やりたいことをやって散ろうって。そういう気持ちで臨みました」

 リスナー参加型のゲリライベントを敢行していく中で、大反響を呼んだのが「東京大学ニセ胴上げ事件」だ。

「当時、東京大学の合格発表と言えば、大手マスコミがこぞって取材に来ていましたから。もしも僕がそこで胴上げをされれば、テレビのニュースに映り込めるんじゃないか。とにかく顔を売ってリスナーを増やしたい一心で、スタッフと赤門に行って、胴上げしてもらったんです。今で言う迷惑系ユーチューバーの走りですよね。そしたらNHKが当日、夜7時のニュースで『今年の東大合格者の喜びの風景からご覧ください』とトップで報じてくれてね。その後、『セイ!ヤング』でも合格発表の音源を流したんですけど、やっぱり賛否ありましたよ。『受験生が人生を懸けた合格発表の場で何事だ!』なんてね。文化放送から番組の打ち切りとか処分があるんじゃないかってヒヤヒヤしていたら、読売新聞が夕刊のコラムで『東大しか取り上げないマスコミの学歴偏重主義への風刺だ』なんて褒めてくれてね。そんなこと微塵も思ってなかったんだけど(笑)。それから僕の大好きな永六輔さんがTBSラジオで『隣の局の吉田っていうのがバカなことをやって面白かった』って言ってくれたんです。自分にとっては大きな救いでしたし、結果的におとがめなし。もしかしたらアナウンサーをクビになっていたかもしれない。後にも先にも、これより面白い出来事はありませんでしたね」

 80年にスタートした夜の「吉田照美のてるてるワイド」は聴取率トップを獲得し、85年のフリー転向後も昼の「吉田照美のやる気MANMAN!」など文化放送で数々の人気番組を担当。現在放送中の「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(パッション

)」は97年から続く長寿番組に育った。

「僕も74歳だけど、伊東さんは今年6月に米寿ですよ。88歳とは思えない! とにかく記憶力がすごくて、円周率だって1000桁まで言えますから。漢字の間違いにもうるさくて、保険の『保』ってあるじゃないですか。『保』の右下は『木』じゃなくて『ホ』なんですよ。これは文科省が間違っていて、その点では僕も伊東さんと同意見。本人は『100歳までやる』って言ってますし、一緒に現役を続けていきたいですね」

 ラジオを愛し、ラジオに愛された男。吉田の挑戦はこれからも続く。

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