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記事全文を読む→【プロ野球 泣かせる話】引退を考えた辻発彦が「心にガーンときた」という野村克也の「俺の口から…」
「いちばん最初に野村さんに会った時、『えっ!?』と思ったよ、この人…」
これは西武時代の1993年に首位打者と最高出塁率のタイトルを獲得した辻発彦氏が、野球解説者・上原浩治氏のYouTubeチャンネル「上原浩治の雑談魂」で語った、野村克也氏の印象である。
西武に入団して間もなく、アリゾナのキャンプ地に野球評論家として訪れた野村氏。この年は秋山幸二を売り出そうという時期だったそうで、その秋山に重なるように打撃練習に励んでいた。
そんな辻氏に、スタンドから眺めていた野村氏が、
「おいっ、5番!」
そして右手を振って「どけ!」とアピールしたのである。「秋山が見えない」ことへのクレームだった。
辻氏は言う。
「プロってスゲェ、怖って思って。そういうのがあったから、1992年の日本シリーズで絶対に負けるかと思った」
1992年、西武は1990年シーズンからヤクルト監督に就任した野村氏と、日本シリーズで激突。4勝3敗で日本一となった。
とはいえ、辻氏のノムさん評は、恨み節ばかりではなかった。
1995年シーズンを限りに西武からコーチ専念の打診を受けた辻氏は、現役にこだわった。森祇晶元西武監督の計らいで、ヤクルトに移籍。キャリアハイとなる打率3割3分3厘、出塁率4割9厘を記録したが、その後の成績は年々、下降線をたどる。
40歳を前にして、そろそろ引退か…といった雰囲気の中、囲み取材に応じた野村監督の言葉はこうだった。
「辻が40歳までプロ野球の世界でどれだけ貢献してくれたんだ。俺の口から『ユニフォーム脱げ』って言えるわけないだろ」
記者を通じてこれを聞いた辻氏はというと、
「このことが俺にガーンときてさ。嬉しくてさ。もう1年、ありがとうございます、って年賀状に書いた」
辻氏の努力と実績が、野村監督の評価を大きく変えたのだ。
(所ひで/ユーチューブライター)
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