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記事全文を読む→すさまじい血しぶきが!壮絶すぎる「三文字腹」で切腹絶命した幕末の志士の「短刀の突き立て作法」
幕末の志士に、壮絶な切腹を遂げた人物がいる。しかも幕末ではかなりの大物、有名人である。名を武市瑞山半平太という。
半平太は、坂本龍馬が属した土佐勤王党の盟主で、戯曲などに登場し「春雨じゃ、濡れていこう」の名ゼリフを口にした月形半平太のモデルになったといわれている。
切腹は日本古来の自死方法で、今現在も海外では「ハラキリ」として伝わっている。その歴史は古い。記録に残っているところでは平安時代、貴族でありながら大盗賊でもあった藤原保輔だといわれている。
保輔は数々の事件を引き起こして捕らえられたが、その際に自らの腹を刀で切り、腸を引きずり出して自害を図ると、その傷が原因で獄中死している。それ以降、武士の自死手段として用いられるようになった。
切腹の際の切り方には、腹を一文字に切る「一文字腹」、一文字に切った後に、みぞおちから臍の下まで切り下げる「十文字腹」などがあるが、そこまで体力がもたないケースがあり、最後は喉を突くことが多かった。
腹を切った瞬間に首を介錯人に落とされる方法や、腹には刀でなく扇子を用い、介錯してもらう「扇子腹」なども、のちに行われるように。
ところが半平太の切腹は「三文字腹」と呼ばれる壮絶なものだった。土佐勤王党の活動が藩の上層部の逆鱗に触れ、切腹を命じられたが、半平太なりの武士の意地があったのだろう。まずは短刀を左腹の下腹部に突き立て、右腹まで一文字に切ったまでは作法どおりだったが、その後が違った。
短刀を一度抜き、今度は右腹の下腹部に突き立て左脇腹まで切った。が、これでは終わらない。さらに短刀を抜いて腹に突き立てて横に切ったため、切り口が漢数字の「三」のようになったという。それでも半平太は絶命せず、最期は介錯人が横から心臓を突き刺したといわれている。
その際の血しぶきはすさまじく、検死の役人の袴が真っ赤に染まったらしい。実際は横に「三」ではなく、横、下、上と3回切ったという話もあるが、自らの腹を三度も掻っ捌いた例はほとんどない。しかも長い獄中生活で体力が衰えていたにもかかわらず、である。
同じ土佐勤王党の一員で「人斬り以蔵」と呼ばれた岡田以蔵は処刑される際、命乞いをしたと伝わっているが、半平太は最期の最期まで武士の矜持を持っていたようだ。
(道嶋慶)
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