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記事全文を読む→8.12「日航機123便墜落」坂本九の遺体を運ぶ妻・柏木由紀子の「胸が詰まる姿」と果たされなかった「2つめの約束」
日本航空のジャンボ機123便が羽田空港から伊丹空港へと向かう途中、群馬県にある御巣鷹の尾根に墜落したのは、ちょうど40年前の8月12日、夕刻。乗客乗員524人の中には、歌手・坂本九さんの本名「サカモトヒトシ」の名前が含まれていた。
墜落事故の知らせを聞き、事務所関係者とともに、乗客乗員の安否を確認する場である群馬県藤岡市の体育館へ、祈るような思いで駆けつけた妻・柏木由紀子。しかし、墜落した場所が標高1565メートルの高天原山山中とあって、捜索は難航を極めた。
2日後の8月14日、現地で気丈にも記者会見に臨んだ柏木だったが、
「祈るだけです。早く会いたいです」
と語るのが精いっぱい。関係者によれば、坂本さんは知人の選挙応援のため、123便に搭乗していた。普段は全日空機を使うことが多いのだが、お盆の帰省ラッシュのため、たまたまチケットが取れた日航機に搭乗したという。
事故から4日目。現地の警察と消防から、坂本さんのショルダーバッグとペンダントが発見された、との一報が入り、柏木によって遺体の身元が確認された。事故発生からまんじりともできない時間が続く中、それは99時間後のことだった。
現地で取材をするニュース班記者からの連絡で当時、現場記者だった筆者が目黒区内にある坂本さんの自宅前に到着したのは、翌17日の午前3時過ぎ。まだ携帯電話などない時代。現地からの連絡は、所属する編集部経由だった。
午前4時50分、1台のマイクロバスが坂本さんの自宅前に横付けされた。ドアが開き、関係者の男性に支えられるように出てきた柏木の表情は、やつれ果てていた。5人の親族とともに夫の棺を支え、玄関までの石段を一歩ずつ上がっていくのだが、何度もよろけそうになり、それでも愛おしそうに棺に目をやる彼女の姿に、胸が詰まった。
事故に巻き込まれた12日、白いシャツにジーパン姿、あの九ちゃんスマイルを残し自宅を出たという坂本さん。最後の仕事となったFMラジオ番組の収録では、おなじみの「見上げてごらん夜の星を」や「心の瞳」のほか、トレードマークとなった「上を向いて歩こう」を欧陽菲菲とデュエットで、思いを込めて歌った。それが最後の歌声となった。
告別式が行われた8月18日は、うだるように暑い日だった。自宅で執り行われた告別式には2000人を超える弔問客があり、列は自宅から200メートルほど離れた駒沢通りに達するほど続いていた。ジェリー藤尾、フランク永井、伊東ゆかりなどの友人の顔もあった。
3時間にわたる告別式が終わったのは、午後2時過ぎ。1971年4月、祝福の喝采を浴びた婚約発表。坂本さんのプロポーズの言葉は「俺について来れば、間違いなく幸せになるよ」。そして「死ぬ時は一緒だよ」。オシドリ夫婦と言われた14年の結婚生活。しかし無念にも、2つめの約束が果たされることはなかったのである。
(山川敦司)
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